“D”

(201209著)
 ターミナル駅の待ち合わせスポットから少し離れたところに君が立っていた。季節柄ぎっちりと着込んでいた訳でもないのだが、痩身・長髪・黒尽くめといった見かけは、慣れている筈のこちらから見ても思わずギョッとする程に浮いて見えた。首都の雑踏ー喧騒の中でもそんななのに、如何にも素朴そうな帰郷先でも同じ風情でいたら(きっと同じ風情だろう)浮きまくること必至だろう。
 ただ、その風情が「君」なのだということは明らかで、君が何処の誰かなんて知らなくても(つまりは俗に言う有名人オーラなぞとは関係なく)、嫌でも君を認識してしまうということだ。ー君はそれを悪目立ちだと言っているが。
 ところが「認識してしまう」ということはつまり、翻って、見てはいけないものともされてしまうのだ、恐ろしいことに。

 待たせたことを詫びて君に声をかけた。漸く残暑の暑さも治まりつつある頃合(とはいえ黄昏というには明るすぎる)、かの個展の会場へ足を運ぶ。2年前とは違う、賑やかなストリートに面した前面ガラス張りのギャラリー。聞くところによると、美術館で見たあの作品もあるということだ。
 意外と通りからは展示品を認識できないまま、自動ドアのスイッチを押してギャラリーへ入る。決して暗くはない深い青ー碧と蒼の混ざり合いが絶妙なーを背景色の基調とした人物画像が大小様々に壁という壁に目いっぱい展示されている。入った正面の壁に大きな2枚。右側が美術館で観たあの作品だ。
「もうひとつあると聞いてたけど」
壁中に視線を巡らす。時計回りの終盤近くに、20㎝四方にも満たないような小さな絵。そこに赤いベルベットの上着の君がいた。
 君がしっくり来る空間はステージの上とキャンバスの中だけかと思ってしまうほどに、額縁の中の君はその世界に融け込んでいた。
 ーしかし融け込むといってもなあ。
赤いベルベットの男の横には更なる絵画なのかそれとも鏡なのか、どちらにしろこちらに問いかけるような、否、挑みかけるような面持ちで髑髏が在る。如何にも「メメント・モリ」の世界観なのだ。そして赤いベルベットの男は決してこちらとは視線を合わせない。かといって隣の「髑髏」を意識している風でもない。自慢の逸品をそれと気付かないまま紹介を、自身は夢見るような視線を宙に漂わせている。主題を慮ってみると、髑髏まで逝ってしまっていることで彼は夢見ることができているのだろう。
 君はといえば、キャンバスの中の己に目を細め、世界観を面白がっている。

 ギャラリーの中には自分たちの他には誰も居ず、君は幸いとばかりにその場を動かず、ためつすがめつその絵を眺め続けた。
「monsieur,comment allez-vous?」
かなりな時間の経過後、僕は少し離れた後ろからそう声をかけた。振り返った君からはキラキラと光があふれ、その光をまとったまま一歩下がって声の主に躰を寄せた。ひっそりと僕の掌に手が滑り込んできて、反射的にその手を握り込んだ。
「俺は居るよな?生きて、居るよな?」僕にだけ聞こえるようなささやかな声で絵の真意を問いかける。僕は何度も中の手を握り、在ることを確認させる。じれったそうに君が掌の中で蠢きはじめる。指を広げて君を解放させると力強く指を絡ませてくる。密やかな交歓。鼓動が同調し、合わせた掌が次第に汗ばみ蕩け合うような感覚に襲われる。力を込めて僕は指掌を抱いた。
帰路の君が頗る上機嫌で、僕も幸福感に包まれたままその日を終えたのはいうまでもない。

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