Ein dunkler markgraf~逢魔が刻~「闇の伯爵:魔性の刻」より

 「蛇に睨まれた蛙」という言葉がある。蛇に目をつけられた蛙は恐怖のあまりその場で動けなくなってしまうという、というものだ。そのような事態が今まさに自分の身に起こっている。らしい。
 黒衣の男が半ば寝そべるようにソファに身を沈め、尊大にこちらを見つめている。背筋が泡立つような抗えない魅力(ちから)を湛えて。その視線が、荊の蔓のように自分に絡みつく。
 絵に、引き込まれる。それがどれほど恐ろしいものか対峙した本人から語られることはまずないだろう。絵に魅入られ引き込まれた者は、ある者は廃人となり、またある者は己の正気のために絵を傷つける。しかし自分はそのどちらでもなくただ絵に引き込まれ、瞬きすらもできないほどに立ち竦んでいた。
 つと、黒衣の男が頬杖をついていた手をこちら側に伸ばした気がした。思わず歩を踏み入れ、己が手をそこへ差し伸べた。赫月の色をした瞳に魅入られたまま。

 この絵について、まことしやかな話がある。絵の中の、赫月の色をした瞳の男と視線を合わせた者は、忽然と姿を消すという。
 逢魔が刻のその絵には、至る所に黒衣のビスクドールが居るのが見えるだろう。ソファの肘掛から彼の人を見上げながら、永遠にここに居られる幸せを私は噛み締めている。

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