Ein dunkler markgraf~Butterfly Effect

 「うた」が生まれる。想いが言葉へと姿を変えて顕れ、風に乗って運ばれていく。
 窓越しの空はいつの間にか深い色になり、生き物たちが恋を交わす季節になったことを告げていた。
恋をして結ばれて、そして子を成す。遙かな過去から遙かな未来へと繋げるために。その悠久の営みを数え切れない程繰り返し見てきた。僅かな年月の儚い命。よくもまあ厭きずに続けていくものだ。次の命に繋げるためだけに生きる。私にはそれが哀しく見える。
 昔、戯れに一頭の蝶を助けた。彼女の産み付けた卵が芋虫となり、木の葉をもりもりと食べ尽くす様や、殻を幾度も脱ぎ去る所謂メタモルフォーゼの様を冷やかしながらも具に見つめていた。何しろ時間は有り余っているのだ。やがて無防備な蛹となり、その殻の内からは本来の姿の成虫になることを待ち侘びていることが透けて視えた。そしてその最後の殻を破り、外界へと姿を顕した時にふと感慨深くなり呪をかけた。
蝶のその羽ばたきが、巡り巡って嵐になるという。ならば天高く海も渡り、世界の最果てまでをも変化させられるだろう。そしてこの「うた」を世界中の孤独に届けることもできるだろう、と。
 掌上で蝶がゆっくりひらめき廻る。その掌の浅い窪みに気を溜め、蝶を乗せたまま窓から外へと掌で追い風をつくり、放った。蝶がその風に乗り、ゆっくりとしかし力強く羽ばたいて外界へと進んでいった。彼に幸有らんことを。ーそしてまた私は永劫の孤独を囲うのだ。

 どれ程の歳月が経ったろう。ふと、空が見覚えのある色合いになっていることに気づいた。そして小さな生き物と向き合った、僅かな日々を思い起こした。珍しく昼間の庭園に出て、鬱蒼とした花々に埋もれながら懐かしい空を見上げる。空の彼方から、限りなく色の薄い蝶がひらひらと舞い降りてきた。思わず手を差し出すと、夥しい花々には目もくれず、まっすぐ私の掌の内に降りた。羽ばたく度に、呪に織り込んだ「うた」が浮かび周囲に広がっていく。昔私が編んだものより暖かく深くそして優しい。世界中の孤独に巡り合い、希望を与えそしてまた託される。そうして、いちばん孤独な者のところへ辿り着いたのだ。
 「うた」が拡がる。想いが言葉へと姿を変えて顕れ、涙となって頬を伝っていく。

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