折鶴(201602脱稿)

 その日、世界的ロックスターが亡くなったとのニュースが突然世界中を巡った。俄には信じられないことだった。病を得ていたとの話はとんと聞かず、何より新作を発表したばかりだったのだ。
 僕は、この知らせに思った以上に自分が狼狽していることに驚いた。そしてすぐに、「彼」に憧れていた君に思いを馳せた。
 君にとって「彼」は現在の君を創ったもののひとつだ。髪型を同じにしていたこともある。ステージパフォーマンスも「彼」を意識していないと言えば嘘になる。「彼」は君が大好きなアーティストであり、また目標であったのかもしれない。
 君が「彼」の訃報を知ったとき、喪失感がまず君を襲っただろう。胸に大きな穴が開いて、砂のようにそこが崩れ去る。そして叫ぶことはもちろん、涙すらも流せずに。僕は居ても立ってもいられず、君の元へ向かった。
 君の住まいは、外観は静まり返っていた。最悪なことになっていなければいいと呼び鈴を押す。返答はない。ドアノブに手をかけるとそれは軽く、存外すんなりと部屋へと入ることが出来た。
 君は部屋の中で、石像の如く固まっていた。生きているのかすら、傍目からは確認できなかった。
触れることすら躊躇われた。
それでも。
僕は意を決して君に近づき、顔を覗き込んだ。口元に手をかざして、呼吸していることは確認できた。声をかけようとしてすぐに諦めた。ー僕の声はきっと君には届かない。無造作に置かれた君の手を両手でそっと包み込む。やはり石像のように冷たく強張っていた。君を活き還らせたい、その一心で君の手を僕の胸の上に持って行った。君の動揺は僕の動揺だ。君が泣けなかった分、僕が泣こう。

 どのくらい時間が経ったことだろう。君の手が僕の胸と一体化したところで君の気配が蘇った。そこで徐に君の肩を引き寄せ頭をかき抱いた。君が甘えるように頭を僕の肩口に摺り寄せて感謝の意を表した。力なくぶら下がっていたもう片方の腕がそろそろと僕の背に置かれる。
「お前はそこに在るんだな」僕の心臓が君の双掌に挟まれ、そのどちらにも動揺を伝えている。「彼」とはこんな風に触れたことはないだろう。それでも「彼」は宇宙から音楽で以て僕達を慰撫し、また宇宙へと還っていったのだ。
「俺はここに在る」耳元で呟くと、自然と君の髪を食む。君だけに言葉を届けるため、髪を咥えたまま選り分け、耳朶を噛まんがばかりの位置で囁きかける。「お前はどうしたい」言った瞬間鼻の奥がツンと痛くなり、堰を切ったように二人して泣きじゃくった。

 「ーごめん。お前の服、鼻水でぐちゃぐちゃにしまった」身も蓋もなく泣けば必然そうなるだろう。それは気にするようなことじゃない。
「…なあ」「何?」
「彼」のことを知った君がどうなっているのか、僕は凄く不安だった。だから君に会いに行って、君が部屋で石像のようになっていたのを見つけて、それが僕にとって一等辛いことだと身に沁みた。
「あと何十年かしたら、俺達にも旅立つ時が来る(君の脈が大きく触れたがそれには構わず言葉を続けた)僕は、君が冷たく固くなった姿をもう見たくない。ーだから、君には酷かもしれないけれど」
これが、僕の君へのひとつだけの我儘。こんな時に、と君は言うだろう。けれども「こんな時」じゃないと口にも出来ない。
「君よりもほんの少しだけ先に永眠らせて欲しい」
その時君が悲しみで儚くなろうとも構わない。その時が来るまでは、今日みたいに僕が君を守ってあげるから。それだけは約束する。
言葉の代わりに君を深く抱きしめた。

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