夢魔~逢魔時の祝宴

 「お久し振りね。ーあら、おりませんの」黄昏時、女が彼の居城を訪れると、主は城を留守にしていた。「あら?杖と影が残っているーということは、常の方に居るということね」それなら待たせていただくわ、と気負いもなくソファに身を沈めた。それにしても。女は独り言ちった。通常なら影があちらに居るはずなのに。

 よく眠っている。ベッドの中の彼女は昼間の勝ち気さとは異なる、見た目の年頃の娘のようにしどけない。世界で最も美しく清らかで、稀有な生き物。彼女の額に手を遣り、苦しくない程度に力を封印する。私とて、無条件で己を慕ってくる相手を苦しませない程度の情けはあるつもりだ。
 額にかざした手から彼女の内に入り込み底へ辿り着くと、少し不安気な表情でそこを覗き込んでいる彼女に底から手を差し伸べる。「おいで。ー主命だよ」恐る恐る身を乗り出していた彼女は、それでようやっと私のところへ降りてきた。
「我が君。嬉しゅうございます。お恥ずかしながら、この時が来るのをずっと待っていたような気がします」
 私が影を以て、そのように仕掛けていたことをこの生き物は知る由もないだろう。疑うことを知らない、清らか過ぎる生き物。哀れなのかもしれないが、哀れむのはお門違いだと昼間の彼女は応えるだろう。
 着衣を剥ぎ取りその柔肌をしっかりと抱きしめる。小さな溜息を彼女がそっと洩らした。「可愛い声をもっと聞かせておくれ」その溜息を吸い取り、優しく身体に指を滑らせる。少しずつ嬌声をあげ、私のこちらでの名前を呼ぶ。肌を合わせ絡み合い、彼女の身体が熱を帯びる。頃合いは良し。肩口に口付け、牙を首筋に沈めると同時に自身を彼女の内に沈ませた。破瓜の痛みの声が寝所に響く。自然と逃げようとする躰を押さえ、「私を信じなさい」と囁くと彼女は大人しくなった。「安心おし」その言葉で笑みさえ浮かべている。この生き物は疑うことを知らない。揺れ動く度に、彼女の淡い色の髪が炎のように赤く燃え乱れた。
「我が君。我が君。我が君」その声が、私の背にかかる腕が、そして何よりも彼女の内が私を求めて止まない。ー今までお前が知らなかった世界に存分に触れるがいい。そして、お前のその清らかな血が私の糧となり血肉となる。こんな幸せなことはないだろう?お前は私のものなのだから。
彼女の身体の柔らかなところを隈無く口吻け、精も吸い取る。その度にあがる小さな高揚の悲鳴も私を歓ばせる。
 只人は長い年月の末、無駄な知識を貯え我ら魔性を警戒するようになった。私の腕の中にいるこの生き物は見えているものを見えたまま捉え、哀れみを問い慈悲を唱える。良く言えば素直な性質の生き物だ。これに失望されない限りこの関係は永遠に続く。これもまた、不死のモノの世界。
 再び牙を首筋に沈めると昇りつめた叫びがあがった。息も絶え絶えな、だがこの上なく幸せな表情の彼女からゆっくりと離れ、夜明けを迎える前にその場から去った。

 「黄昏から夜明けまで、随分と時間がかかったこと。常しえでのお愉しみが余程良かったのかしら?」
城に戻ると、彼の女が外界を見下ろす窓際に置いたソファで気怠く煙草を薫らせていた。
「いいモノを用意した、って仰っていたから態々足を運んだというのに、肝心の貴男が居ないんですもの」
それは申し訳ないことをした。 
「『いいモノ』は確かに用意できている。唯、今回だけは相手に忍びなくてね」
情が移った、てことかしら?と相手が揶揄してくる。永い付き合いになっているからね。此処まで辿り着くまでに何百年かかったことやら。
「それは存じ上げないことよ。ーそれで?」と逆に問い返された。
稀有な生き物の血をいただいてきた。世界で最も美しく清らかな、あれの血と精を。
「よく生きて帰ってこれたわね」その為の数百年だ。あれを、私のものにする為の。
「それで、その血は分けていただけるのかしら?」もちろんだとも。数百年待った甲斐のあるものだよ。

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