サンルーム(ガラスの部屋)

 未だ夜も明け切れていない朝帰りの町中できみに出逢った。まだ人の気配がしない一軒屋の一角からふと視線を感じた。目をやると、一匹の犬と眼が合った。居心地の良さそうなサンルームにちょこんと座り、自分に対して嬉しそうな素振りを見せていた。その時の懐さが印象に残り、何かというとその家の前を通るようになった。
 夜更けの時も黄昏の時も、滅多にない午下がりの時でさえも、初めての出逢いと同じように瞳を輝かせ、尻尾を振り回す。ガラス越しでは届かないことを知っていてか、吠え立てる素振りは見せなかった。いや、まだ姿を確認したことがない飼い主に遠慮したのかもしれない。

 この部屋の居心地は悪くはない。明るくて暖かく、うたた寝をするにはうってつけだ。透明な壁の向こうには小さな庭があり、その壁にぴったりとくっついて見上げると空も確認できる。小鳥が庭に舞い降り、それを狙ってか近所の猫がこれ見よがしに壁のすぐ向こうを横切ることもあった。だがそれらに触れることは出来ない。透明な壁が、それらとの間に立ちはだかっていた。
 ある夜明け前。その壁の向こうに感じる何ともいえない雰囲気に顔を上げると、庭の向こうの(この街特有の)竹垣から人間がひとり顔を覗かせていた。そして目が合ってしまった。嬉しくない訳がない。何かを期待したのではなく、ただただ向き合ってくれることが嬉しかった。やがて幾度か来てくれるようになったことで、期待するようになった。いつ来てくれてもいいように、一日の大半をそこで過ごすようになった。

 定期的に訪れる訳でもなく、時間帯もバラバラだというのにきみはいつでもそこに居る。それは嬉しいことなのだけれど、同時に申し訳なさを感じる。期待されていることが手に取るように判るからだ。ただ、何を期待されているのかは解らないけれど。

 いつ逢えるのか判らない、けれども逢うと必ず懐かしさを感じる。初対面の時もそうだった。「彼を知っている」と。相手が親しみの視線を送っている(と感じていた)のも、相手もそうだからだろうと思っていた。けれども。懐かしさ以上の想いを自分が持ってしまったせいだろうか。いつしか、訪れる彼の眼に苦しさを読み取るようになってしまった。自分が期待してしまったせいで、彼が苦しんでいる。そんなつもりはなかったのに。
 ふいに、自分の居るこの部屋、暖かく居心地の良いこの部屋が息苦しくなった。まるで水槽の中で溺れかけているような。透明な壁の向こうは、水の中から見上げているようにぼんやりとしか視えない。彼が来ても、認めることができない。それはとても悲しいことだ。

 サンルームまでのほんの数メートルが、そしてガラス板1枚の距離がもどかしい。顔を突き合わせ、声(言葉)を交わして、そして触れることがどうしても叶わない。そこまではあんなにクリアなのに、まるで迷路に迷い込んだかのように途方に暮れた。

出来ることなら、以前の時のように日の光の差し込む中、ただ目交わえていれば幸せだった頃に戻りたい。けれども時を戻すことなど出来はしないのだ。

 そして苦しさが極まったのか、いきなり水中に放り出されたかのような感覚に陥った。息苦しくなり、意識が薄れていく。次に目を開けた時には、川のほとりに居るのだろうとさえ思った。
「まだだ」と誰かの声がした。そうだ。還らなければ。心の奥底で繰り返し呟いた。
 目覚めると、日が差し込む温かい場所にいた。硝子の向こうに、小さな庭と海街の竹垣があった。石つぶてが当たったのか、すぐ上の方で硝子の割れる音がした。見上げると、風が眩しかった。



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