ワタシと小さなあの子の物語①りんご畑にまつわるエトセトラ
これは子どもの時いい子でいてしまった優しい人たちに贈るお話です。
昔からりんご畑にひかれるものがある。
りんご畑とその入り口に立つ小さな子ども。そんな光景が浮かんできゅっと胸がしめつけられる。
少し大きくなってからこれは切ないという感情だとわかった。
なんでワタシはりんご畑に郷愁を抱いていたんだろう?
答えはわかっていて生後まもなくから3歳ごろまでりんご農家に預けられていたから。
母はワタシを産んだ後しばらく父の実家にお世話になっていたのだけど
祖母とそりが合わなくて(あるあるだ)すぐにそこを出てしまったらしい。
幸いといっていいのか、両親は某宗教団体に所属していて、教団には早朝延長保育にも対応した年中無休の保育施設があった(たぶん資格を持たない信者のお姉さんが保育にあたっていたのだと思う)。
兄なんかは産まれた時からずっとそこにいたらしい。
それでも一日の終わりには母が迎えに来て一緒に過ごす時間があったのに対し、ワタシは同じ信者のりんご農家に養子同然に預けっぱなしにされていたらしい。
なんで?
まあ単純に兄と乳児を一緒に見るのが大変だったんですね。
父がほとんど家にいなかったのだから仕方ないと言えば仕方ないけど、母にも後ろめたいところがあったらしく、ワタシが大きくなってからはことあるごとに
お世話になったのだから、可愛がってもらったのだからモモちゃんの顔を見せに行かなくてはならない
ともっともらしい理由を振りかざしてワタシを何度かそのりんご農家へ連れていった。
そんなこと言われてもね。
そこでいかにも人の良さそうなおっちゃんとおばちゃんが母と
いやモモちゃんは本当に可愛らしかっただの
りんごジュースを哺乳瓶でごくごく飲んでくれただの
思い出話に花を咲かせている中、ワタシは曖昧な笑みを浮かべながら早く終わってくれないかと思っていたっていう。
たしかにワタシは可愛がってもらったんだと思う。
某宗教団体にいたにしてはわりとまともな方たちだったし、おばちゃんなんかワタシのために手作りの雛人形まで作ってくれたのだから(残念ながら雛人形の顔はちびまるこちゃんの長沢くんみたいだったけどね)。
りんごだって今でも好きだ。
ただ3歳すぎて母がワタシを引き取りに来て、その時きっとワタシはすごくさびしかったのだと思う。
覚えていないけれど強烈な切ない感情があのりんご畑の風景となってワタシの潜在意識に刻まれてしまった。
物心つく前なら大丈夫だと母は言う。あの時代はそういう考え方だったのだろう。
でも違う。
覚えていないだけで幼ければ幼いほど子どもは全身で周りの情報を感じとっているし変化がわかる。
みなさんはなんだかわからないけれどふいに
切ない、さびしい、といった感情に襲われたことはないだろうか?
それはたぶん覚えていないけれど、幼い頃体に残った感情の記憶だ。
だからなるべく赤ちゃんを育てる時は、環境やお世話をする人は変わらないほうがいい。
絶対音感より幼児英会話よりなによりそれが一番大事(もちろんやりたい人はやっていただいてかまわないのだけど)。
そしてなによりお母さんがゆったり安心しているのが大事。
ワタシはそのへんはてんでダメだったのでえらそうなことは言えないのだけど、お母さんが笑っていればとりあえず大丈夫なのだと思う。
発達障害でも弱視でも不登校でも(うちの話です)
だからりんごでも食べて笑って生きていこう。
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