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「存在証明」ってなんだろうか考えてみる

こんにちは、よっしーです。

創作をやる人などは、ある種、存在証明をしたくてやるのではと、わたくしよっしーは考えます。

様々な音楽の歌詞や曲名なんかにも出てくる「存在証明」という言葉について今回は考えてみたいと思います。

「存在証明」その言葉の心は

自分なりにこの意味を考えてみるのですが、やはりみんな「生きた証を残したい」「自分の存在が意味あったものにしたい」という叫びだと思うのです。


これは、人生は一度きりのかけがえのないもので無駄にはできないという、真面目に人生を見つめようとする心からくる思いではないでしょうか。


逆に言えば、このままでは自分の人生が意味のないものになってしまうのではないかという危機感でもあるかもしれません。


フランスの思想家であるパスカルは「パンセ」の中に下記の有名な一節があります。

人間は考える葦である。

パンセ

人間は身体的には自然界では「葦」のようにとてもか弱いものだが、宇宙のことまで「考える」ことができる存在だと言っています。


これを少し深堀すると、動物でもどうやって獲物を捕らえたり、繁殖のためにどうするかを考え工夫したりするはずですから、「考える」といっても何を考えられるかが重要です。


それこそが、「存在証明を求めること」「どうしたら一度きりの人生意味があったと言えるだろうか」を考えることでしょう。


もしあなたが、かっこつけやテキトーにとかじゃなく、真面目に上記のような「どうしたら…」と悩み行動しているとしたら、あなたはパスカルに並ぶ思想家と言えるかもしれません。


「存在証明」の言葉に隠された心は「人生が意味あったものにしたい」という心だとここでは結論付けましょう。

「意味」を考えるのは苦労を要する時

人間が意味を考えたくなる時は、それをするのに苦労を要する時です。


例えばバイトをするなら、ちゃんと働いた分の給料がもらえないと「働いた意味ないじゃないか」となるはずです。


たいていの現実のバイトはラクでも楽しくもあまりないからです(それでもなんとか楽しくできるにはを考えるのは重要)


特に、人手が足りなくて即採用してくれるような過酷なバイトなら、もし支払われなかったら「なんて無意味な時間をかけさせられたんだ!」と絶対になるはずです。


また、学生にとっては「勉強する意味って何?」という疑問は重要な者でありながらはっきりした答えが見つからないものでしょう。


これに応えるのはなかなか難しいので大人は「ほら、勉強って実は楽しいよ~」とごまかします。


それで、高校生ならば、この勉強をやりきって試験に合格したら、楽しいキャンパスライフが待っていると思うようにしていると思います。


私もまったくそうで、大学にさえ合格すればとりあえず勉強からは解放されて好きなことができるかも、と夢をふくらませていました。


しかし、現実は、理系なら特に勉学はさらに難易度が増します。

そして大学生活の時間は意外とあっさりと過ぎ去って次は社会人になることになり、ここからどんどん苦労が増えていきます。


だからこそなんとか楽しいものにしようと社会には様々な楽しみが作られているわけですね。


ここで、「消費するだけの楽しみを味わいつつ苦労して生きて歳をとっていくってなんかむなしいな」と哲学者レベルの思考を持った方は人生に意味を求めようとするのではないでしょうか。


人生は実はどんな苦労なら選べるか、という何らかの苦労しか選べない仕様になっているのです

ここは人生の意味を深堀りしてみるマガジン

苦労しか選べない仕様になっているこの人生ゲームの本質に気づいて、その意味を考えることに少しでも興味のある方向けの読み物として今後とも書いていきたいと思います。


必ず苦労しなければならないのになぜ生きていくのか、それぞれもう自分なりに答えを出している方も多いとも思われますが深堀していきます。


「苦労してなんぼだ、言われたことやってればいいんだ、そんな疑問持つ暇があったら仕事しろ」という考えの人もいて、ぜいたくな悩みにも思われるかもしれません。


しかし、人生には大きな選択を迫られる時がいくつもあり、リセットボタンのない現実世界ですから、何も考えずに生きていって最後に後悔なんてことになったら大変です。


「苦労しても生きてきて本当によかった!」と言えるにはどうなればいいのか、これに焦点を当てていってみましょう。


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