経済活動に「適切さ」を定める営農型太陽光(ソーラーシェアリング)の病理
営農型太陽光制度の根拠である農水省通知(制定平成30年5 月15日3 0農振第78号 最終改正令和4年3月31日3農振第2887号)では、その本文で、次のように述べている。
これまでの当該設備が設置された事例においては、
荒廃農地の再生利用や担い手の経営改善に資するものが見られた一方で、
当該設備の下部の農地での農業生産が適切に行われていなかった事例等も見られたが、農地転用許可権者等の改善指導により改善されたところである。
営農型太陽光では従来の農地法で求められなかった耕作義務や収穫量指定が行われいることは前に述べた。この通知ではこれらを含め「農業生産の適切性」を通知で定めている。
「農業生産の適切性」この言葉に私は営農型太陽光制度の病理を感じる。
一つの経済活動に適切性を国が定めていることの病理である。
私が何か、営業会社を経営していて、営業マンの電話のかけ方に国が「そのような営業は、不適切です」と介入することの病理を。もちろんこれは、刑法に抵触するようなことではなく、効率性といった観点からの介入することの問題である。
というのは、日本では憲法で、経済的自由権が認められている(憲法22条、29条)。不効率な経済活動をしていたとしても、それは市場原理から淘汰されるのであって、社会主義国の計画経済のように国家が介入することは認められていないのである。
ところが、営農型太陽光制度(ソーラーシェアリング)では、「架台の高さが低いためトラクターが通れませんね、許可できません」といった形で事業開始段階から国家が介入し、「改善指導」するわけである。事業開始後も、毎年度「営農報告」という形で収穫高を報告する義務があり、収穫高に不足があったり、品質に問題があると「改善指導」されるのである。
ところで「適切さ」とは何だろうか。
農業における適切さとは、汗をかいて一生懸命働くことだろうか、財務上健全であることか、求められる作物を作ることだろうか、優良品質を保つことだろうか、耕作放棄地を増大させないことだろうか、
おそらく、一つの経済活動の「適切さ」の基準は複数あり、どのような主体が定義するかによっても異なるものだと思う。このようなものを国が、なんら法律に寄らず、通知によって一方的に定めていること、これが営農型太陽光(ソーラーシェアリング)の病理ではないだろうか。
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