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「At Fillmore East」 オールマン・ブラザーズ・バンド

サザン・ロックとは非常に多様な音楽であり、ひとつのジャンルとして括るのはやや無理がある。だが、いずれのバンドや作品も、泥臭い・男臭い・酒臭いという共通点があり、そのアルコール度数の高さゆえ、未成年には販売できない音楽なのだ。
アメリカ南部州でドサ回りをしていたローカル・バンドが全国区に成長し、このシーンを築いたのだが、母集団がそれなりに大きくなると突然変異的に突出した能力を持つ者が現れる。それがデュアンとグレッグのオールマン兄弟を中心に結成されたオールマン・ブラザーズ・バンドだ。
そして1971年にリリースされたこの「At Fillmore East」は彼らの代表作であると同時にロック音楽の歴史に燦然と輝く名盤である。ライブ・アルバムという範囲に限定すればどのようなランキングでも3位以内に入るだろう。もしそうでなかったら、そのランキングは株のおすすめ銘柄同様まったくあてにならないものだ。
なお「At Fillmore East」にはいくつかのバリエーションがある。ここではオリジナルを大幅に拡張し、ほぼライブの全容を収めたDelux Editionを前提に紹介したい。

このアルバムの1曲目「Statesboro Blues」からデュアン・オールマンのスライド・ギターが唸りを上げる。
まず、"スライド・ギター"というものについて説明しなければならない。ギターというものは弦を指で押弦することによってさまざまな音程を作る楽器だ。しかしスライド・ギターは指で抑える代わりにガラスや鉄でできたバーを弦に当てることで音を出す奏法だ。バーを当てる位置はフレットに囚われる必要はなく、弦の上を自由に滑らせることで、西洋音階にはない様々な音程を作ることができる。ブルースの世界では戦前からこのスライド・ギターが多用されており、その幽幻なサウンドが独特な雰囲気を作るのに一役買っていた。だが多くの場合、それらはあくまでも効果音的な役割に過ぎなかった。そのスライド奏法を1970年代初頭にエレクトリック・ギターの爆音でやってしまったのがデュアン・オールマンだったのだ。そのエモーショナルでパワフルなサウンドは50年以上経過した今も超えるものがない。
この「Statesboro Blues」はまさにスライド・ギターの聖典と言うべき名演なのだが、そもそもバンドの一体感が素晴らしく、そのドライブ感がデュアンのプレイを強力に後押ししている。あまり評価の高くないグレッグ・オールマンのヴォーカルだが、そのぶっきらぼうな中にも繊細さが感じられる独特の唱法は兄デュアンのギターによく映え、この曲の終盤では見事なデュエットを聴かせてくれる。

このアルバム唯一のスロー・ナンバーである「Stormy Monday」は多くのブルースマンがレパートリーとしている定番曲だが、ジャジーな味わいを持つこのオールマンのバージョンこそが至高だろう。ゆるくダルくくだをまく様はそれが何曜日であろうとも今日の憂鬱を洗い流してくれる。

「At Fillmore East」は主にトラディショナルなブルースのカバーとジャム・セッション風組曲の2パターンで構成されている。前者は「Statesboro Blues」や「Trouble No More」、「One Way Out」であり、デュアンの強力なスライド・ギターを推進力としている。これらは60年代ブリティッシュ・ロック・バンドのポップに未練を残したブルースではない。ブルースを聴いて育った者が同じくブルースを聴き飽きた者に向けた演奏だ。一方後者は、「In Memory of Elizabeth Reed」や「Hot 'Lanta」、「Mountain Jam」などであり、これらはいずれも、各メンバーのアドリブ・パートを中心としつつ曲調がドラマティックに変化し、壮大に盛り上がってゆく。その原始的なリズムと緻密に構成されたアンサンブルはマイルス・デイビスの「Bitches Brew」を彷彿とさせるものがある。デュアンもこれらの曲では難解な構成に対応するため、スライドではない標準スタイルで演奏するのだが、無限にも思える熱量とインスピレーションで、アンサンブルの中心を担っている。

スタジオ録音ではボサノバ風のミステリアスな曲だった「In Memory of Elizabeth Reed」は、このライブではより壮麗で野生的なバージョンになっている。ディッキー・ベッツとグレッグ・オールマン、デュアン・オールマンが取るソロはそれぞれの主義主張をその演奏に込め展開してゆく。そしてバンド全体がクライマックスであるデュアンのソロに収束してゆくのだ。いつまでもこのアドリブの嵐に身を委ねていたいと思うだろう。

「Wipping Post」は、この時期のオールマン・ブラザーズ・バンドがまさに最強のライブ・バンドであったことを見せつける熱演だ。その勇猛なラテン・ビードは"母をたずねて三千里"の主題歌に勝るとも劣らないものだ。ディッキー・ベッツのソロはモーダルで陰影があり、呼応するようにバンド全体のサウンドも様々な表情を見せる。ソロの中盤では興奮のあまり誰かが叫んでいるのが聞こえる。まさにこのバンドの全勢力を注ぎ込んだ演奏だろう。

オールマン・ブラザーズ・バンドはデュアンだけが秀でていたわけではない。ディッキー・ベッツはジャズやカントリーなど多彩なスキルを持つギターリストであり、デュアンとはまた違ったテイストで哲学的な奥行きをバンド・サウンドにもたらしている。ベースのベリー・オークリーはまるで後年のジャコ・パストリアスのようにグルーヴィーでアグレッシブな演奏を聴かせる。他のバンドにはないファンクのような躍動感は彼のプレイによって生み出されているのだろう。また、ブッチ・トラックスとジェイ・ジョハンソンという二人のドラムがいるというのも特徴的だ。ツイン・ドラムという構成はさぞかしパワフルかと思いきや、アタックが分散してどちらかというと、サンバのように雑多で祭事的な高揚感がある。「Mountain Jam」におけるツイン・ドラムのソロ(?)を聴くとこの二人が作り出すグルーヴこそがこのバンドの核であったことがわかる。しかし、なぜこんなハイレベルなバンドが、必ずしも当時のロック・シーンの中心地ではなかったアメリカ南部に存在したのだろうか。

戦後のアメリカではエルビス・プレスリーやチャック・ベリーが生み出したロックン・ロールが世界を席巻した。しかし、60年代以降のブリティッシュ・ロックのあまりに急速な進化に追従できず、しかも当時のドル高・ポンド安を追い風とした怒涛の英国バンドの侵攻によって、米国における音楽産業はずっと貿易赤字のような状態になってしまった。
だが、ジャズやロックやブルースを生み出した音楽好きの国民は、手近に楽しめるバンドを求め、そのニーズを満たしたのがオールマン・ブラザーズ・バンドのようなサザン・ロックと呼ばれるバンドたちだったのだろう。彼らは世界的なヒット曲も芸術性に富んだアルバムも生み出さないが、毎週末どこかで狂乱のビートを撒き散らしてくれるのだ。
英国のバンドのようにアイドル的な要素がほとんどないのも彼らの特徴だ。どうにもアメリカ人は偶像崇拝を嫌うようで、大会社のエグゼクティブでもダサい服を着て、ダサい車に乗っている。サザン・ロックのミュージシャンも皆、長髪にヒゲというカウボーイ・スタイルであり、この「At Fillmore East」のジャケット写真を見ても誰がデュアンなのか良くわからないほどだ。
もしかしたら、デュアンが亡くなった時も、それに気がついた聴衆は少なかったのかもしれない。大量に生み出され、大量に消費されるポピュラー音楽産業の片隅でその苛烈な才能を燃やし尽くした瞬間もまた、アメリカ南部のタフな日常の中に消えていったのだろう。「あれ、今何か光った?」誰かがそう言っただけだったのかもしれない。

ご存知の通り、このアルバムのリリース直後にデュアン・オールマンとベリー・オークリーが相次いで亡くなってしまう。その後バンドはメンバーチェンジと活動停止、再結成を繰り返し、2017年にはグレッグ・オールマン、2024年にはディッキー・ベッツが亡くなり、ついにこのアルバム当時のメンバーは皆他界してしまった。
若くして亡くなったアーティストはどうしても過剰に評価されがちだが、この「At Fillmore East」にはそう言ったロマンティシズムを寄せ付けない生活臭がある。早死にしようが、飲んだくれて余生を過ごそうが、それは彼らの日常の一部であり、音楽で表現するとこんなにも力強く美しいものなのだ。

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