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豊田神社と毛利マゼンシャの墓

山口県下関市豊田町にある氏神を祀る神社。

御拝殿
豊田神社の御由緒

1457年、太宰府から勧請した菅原道真公を阿座上という所に祀っていたらしいが、のちに若宮八幡宮の仁徳天皇と合祀し、豊田神社として崇敬してきた。

奉納されたさざれ石
熊野神社
御拝殿

豊田町にある華山(標高713m)の霊山信仰に始まり、明治維新まで遍座を繰り返し現在の場所に祀られるようになる。

熊野神社の御祭神は、イザナミの命、事解男神、速玉男神。
イザナミの命が黄泉の国に行き、それを追って行ったイザナギの命は、変わり果てたイザナミの姿を見て別れを選ぶ。
その時に現れた二人の神が、事解男と速玉男の神。

朝日神社
朝日神社の御祭神
豊田神社の御神木
境内にある角力場

明治政府による一村一社制が発布され、混乱ののちに豊田神社への合祀とされた歴史を持つこの神社。
神社入り口の鳥居から本殿までは、立派な石垣で整備されていて、この場所は城跡のようでした。

豊田神社の横には、江良古墳群が広がっている。
7〜8世紀の4基の古墳がある。

引地の君の墓

神社の近くには、「引地の君」と言われた 毛利秀包夫人の墓がある。

引地の君こと毛利マゼンシャは、大友宗麟の娘で言わずと知れたキリシタン洗礼者。

墓への階段

地元の人は唐人墓と言うらしい。
毛利マゼンシャはキリシタンだから、キリシタンの唐人という事なんだろうか…

これまでに、多くの市町村合併や地名の改称があり、複雑なこの町。
安徳天皇の陵墓もこの町にあり、静かなこの場所は、日本の歴史を紐解く重要な土地なのかもしれない。

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