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中山神社と愛新覚羅社

長門國北浦総社、中山神社。

由緒書き

御祭神に中山忠光朝臣命、明治天皇、天照皇大神。

忠光朝臣命は、大納言 中山忠能卿の第五子。
明治天皇の母 中山慶子は姉君にあたる。
幕末の騒乱期に、尊皇討幕に生涯をかけて戦ったとされる。

御拝殿
中山忠光朝臣命辞世碑

この石碑の奥には、忠光朝臣命の墳墓があり、墓標には「藤原忠光卿神霊」と刻まれている。
(中山家の始祖は藤原北家)

文久3年、西暦1863年 明治天皇の攘夷親征がきまり、忠光朝臣命を主将とした天誅組を結成。
討幕の挙兵を起こすが、会津、薩摩藩のクーデターにより、政変がおこる。
1864年、俗論党の凶手にかかり19歳で波乱の生涯を断つ事となる。
その後、高杉晋作らにより奇兵隊の発足となる。

摂社 愛新覚羅社
家系図

愛新覚羅家は、清朝直系の最後の皇帝とされる愛新覚羅溥儀皇帝の系譜。
皇帝溥儀の弟君、溥傑命を御祭神として祀る。

宝物殿

境内にある宝物殿には、中山神社の物と愛新覚羅溥傑命、嵯峨浩命の物が収蔵されている。

網曳祭の神輿
中山家 天皇家の家系図
浩妃、着用の十二単衣
愛新覚羅浩命
愛新覚羅溥傑命
上 ご夫妻と慧生命 下 溥傑命

歴史的にも貴重な遺品が多く収蔵されている。
中山家と天皇家、中山家と愛新覚羅家

こんな繋がりがあったとは知らずに訪れたが、中山大納言が孝明天皇の側近であったこと、嵯峨浩さんが日満の友好のもとに溥傑氏に嫁いだこと。

大正天皇の産着

多くの貴重な遺産が大切に残されていて驚愕しました。

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