記録

摂食障害の経過と記録、
色々なことで傷ついている人は世の中にたくさんいると思う。わたしもまたいつなるか分からない。
それでもちょっと元気になってきているから、
記憶を記録として残しておきたい。
次の教訓と対策のために。
そしてこれを読んだどこかの人の参考になれば。

2024年1月1日。16時10分。
能登半島地震が発生した。

当時私は神戸の祖母の家にいたが、関西では珍しいくらいに強く揺れた。
テレビをつけると、震源は能登半島。
能登半島は私にとって仕事で頻繁に赴く地だったので、胸がザワザワと気持ち悪くなった。
通い慣れたのと里山海道、珠洲、七尾……
テレビの画面を通じてその辺の無惨な状況を見て
気持ち悪さが増すばかりだった。

お正月休みが終わり、仕事が始まった。
仕事でも、もちろん震災対応。
私の取引先は現地のライフラインを担っていたので
その方たちの支援、そして現地の話を聞いて
報告書を作成する日々。
ついに心に限界が来てご飯が食べられなくなった。
胸が気持ち悪い、無理やり食べても嘔吐や下痢。

こんな状況になって、自分自身が1番びっくりだった。
現地の被災した人たちでもないのになんで、おかしい、と言う思いが込み上げ誰かに言うことも出来ず
ひたすら幽霊のように目の前の仕事をした。

お粥とリンゴをどうにか飲み込み生活していたが
1ヶ月で5キロ痩せた。
ダイエットなら万々歳だが、食べることを楽しみとしていたものからしたら苦しみしかなかった。
そして貧血、手足の冷えにも見舞われ、不眠と色んな症状が表れた。
食事を適切に摂るって大事だなと、少しふっくらしてるぐらいが幸せなんだなと痛感した。

メンタルも体調も人生最大のピンチだった。
仕事も休職届を書いた。(結局仕事が忙しすぎて出せなかったけど)

そんな中でも
半ば強引に私を遊びに連れ出したり、自分の震災の経験を話しながら一緒に泣いてくれたり
数え切れないほど色んな人に迷惑をかけながらメンタル面で助けていただいた。
助けの手を伸ばせなくなっていた私でも
色んな人に気をつかってもらった。
思わぬところからたくさん助けの手が伸びてきた。
自分は1人だけど、ひとりじゃない。
正直、たくさん失礼な対応をしたとも思う。
それでも、私を気にしてくれてありがとう。
自分が思っているより自分を気にかけてくれる人はいることを実感して、そんな人を大切にしようと思えた。

時間が経てば傷は癒える、とは言うけど
繰り返しジクジクと痛む傷。
これは自分の心持ちようもあるから
なるべく心が元気でいれるように自分を大事に、気遣わなければいけない。
まだ、ご飯は食べれてないけど心はだいぶん元気になってきた。
既に胃がストレスでやられてしまったからお薬で治療しつつ…
ご飯を美味しくたくさん食べれるまでの道のりは
まだ先になると思うけど
心は元気になりつつある。

桜が咲く頃までに元気になれればいいなと。

私より苦しい人はたくさんいるはずだし、
私より些細なきっかけで苦しむ人もいると思う。

そしてわたしも、また苦しむ時もあるはず。

それでもどこかで助けてくれる人もいるはず。
ちょっとだけでも苦しいサインを見せて見るのも大事。
そしてその時のために、自分を大事にしてくれる人を大事にしないといけない。

自分大事に、頑張ろう。

皆が心穏やかに過ごせますように。

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