風のショーケース

 アパートを引き払い実家に帰るため、荷物の大部分を実家の自室へ運び込んだ。剣道の防具や竹刀、かさ張りそうな冬服とスーツを除くとニトリ規格のボックス3つに収めることができた。思い出のある本やゲーム、CDもあったが両手で持てる程度だけ残し、処分のため二束三文で売り払った。
 再就職まで1ヶ月間の休暇を取ることに決めた。これといった目的は立てていないが、その方が健全な休暇と言えるのではないかと個人的には思う。強いて言うなら、仕事が忙しいことを理由に先送りしてきた考え事に取り掛かるためである。先が長くないであろう祖母と過ごすことや、読みたいまま読めずにいた漫画を読破していくこともそれにあたる。25歳にも25歳なりに考えなくてはならないことがあり、これから先の人生の準備をしていかなくてはならないようだ。胸は痛かったが、3つのボックスに荷物を集約したのはその覚悟の表れであった。

 荷運びの車は母が出してくれた。母親とも久々の再会だったが、あまり大きな変化には気付けなかった。ニヒルな表情の多い顔に年相応な深さの皺がまたいくつか刻まれたか、というくらいのものだった。昔から椎名林檎が好きだった。多くのその偏見の通り少し冷たいところがある人物だったが、ここ数年でだいぶ柔らかくなった。それでも決しておしゃべりな方ではなかったが、あまり帰省しない息子に家庭内の近況を語るときはやや口数が多くなった。
 元々、私の家庭は父方の祖父母と伯母のいる3世帯家族だった。私が小学生の頃に、父親が町内の団地の部屋を購入し核家族としての生活が始まったが、それからも祖父母と伯母との交流は続いた。物心ついた時から祖父母はそれぞれジェイ、バービィと、伯母はカクと呼ばれていた。また、団地から見て祖父母の家は坂の上にあったためそれぞれ上の家、下の家と呼んでいた。私も当初は下の家に住んでいたが、2人の妹、ミヨとミワと母親と同じ寝室を共有し窮屈な思いをしていたため、中学生時代に上の家に自室を作り生活を始めた。下の家を購入したあと少し遅れて、カクは2つ隣の駅の近くの部屋を借り平日はそこで暮らしていた。ジェイとバービィとの生活はジェイの死まで数年続いたが、調和の取れたものだった。バービィはそれなりに口煩かったが、ジェイは物静かだったからだ。 週末は家族が集まり賑やかに食卓を囲み、時に誰かの誕生日を祝った。食後はコーヒーを淹れ家族に振る舞った。私が高校生になりしばらくした頃から、少しずつ調和の乱れが目に見え始めた。カクの偏執的な性格が顕れはじめ、言動の端々に棘が見え隠れするようになり、下の家の住人との衝突が増えたからだった。私自身も大学合格の数日後に、後悔してるやろ、看護師なんかの学校行って、あんたが勉強せんかったからやで、私の言ったことは正しかったやろ、と言われたことがあった。邪教徒を見るような、憤りと哀れみが混ざったような表情だった。ひと通り苦言を聞いたあと、うるさいからやめてくれ、とだけ返した。カクの言葉は私には刺さらなかった。カクは顔を真っ赤にして家を飛び出した。2つ隣の駅の家に帰ったのだろう。様子を見ていたはずのバービィは、謝ってあげて欲しいと寂しそうな目をして俺に向かって言った。
 大学入学を期に私は地元を離れた。外の世界のことはほとんど知らなかったが、既にしがらみの多かったこの家と、コンビニ1つないこの小さな町から出たかったからだ。

 ここ最近は、バービィが老いとともに抑制が効きにくくなっている、と助手席の母が話した。なかなか家に寄りつくことのない私の事を、冷たい子、失礼な子、躾を間違えた、と表現し母へ苦言しているそうだ。物忘れも激しくなり、1000万円以上入った通帳を無くしたことがあった。大きな黒い服を着た男に盗られたような気がすると言い出した挙句、自分の鞄の底から通帳は見つかったが、悪びれることもなかった、と母は話した。
 カクはその後にミヨとミワとも決定的な衝突をし、ミワは正月にカクと顔を合わせるのが嫌でさめざめと涙を流したそうだ。母の話ぶりにはバイアスがかかっていたが、内容自体はある程度は客観的なことを話していたことが分かった。話を聞きながら、俺は少しずつ崩壊しつつある実家から目を背けていたことを思い出した。見るに堪えない苦痛ではなく、関わるのが面倒になったというのが本音かもしれない。2.3ヵ月に一度「なんで帰ってこないの、そんなに冷たい子やとは思ってなかったわ」とバービィから連絡が来る。その都度何かに理由をつけてあしらっていた。実際に忙しかったときもあったし、時間が捻出できるときもあった。人並みに愛情を受けて育ち情だってあるはずなのに、とバービィの言葉通り自分を冷たい人間のように思うことはこれまでに何度かあった。自分のことで忙しい、というのは、忌むべき万能の言い訳だが、それに縋るほかなかった。
 大きな荷物を持って上の家の扉を開いたとき、ちょうど玄関にバービィが立っていた。
「アンタ!全然帰ってこんから心配したやん、ジェイにちゃんと挨拶しーや」
 実家に帰るのは5年ぶりだった。玄関には茹でた牛肉の灰汁の匂いと鼻を刺す猫の尿臭が立ち込めていた。下駄箱の上には煩雑に小物が増え、細かい埃が積もっている。家族写真も増えていた。バービィが紫色の被り物をして真ん中で座っている。ミヨとミワ、カクも穏やかな表情で1枚の写真の中に収まっている。私は家を出た直後の、バービィの喜寿祝いかもしれない。
「白い方と黒い方がおんねん。」
 居間の向こうをぶち猫の影が通った。同じ白と黒のぶちだったが右耳の毛色で判別し、白い方、黒い方と命名しているそうだ。ぶち猫はこちらへ一瞥をくれ奥へ走っていく。下駄箱の上の煩雑さは廊下の隅を伝って居間にも伝染していた。猫の引っ掻いたソファや、明らかに過剰で溢れかえりそうな食器棚、日に焼け色褪せた家族写真。比較的、仏壇だけは整頓されていた。鐘を鳴らし手を合わせて、目を瞑り3秒数え、目を開けた。
「ちゃんと挨拶した?」
 バービィは軽く眉間に皺を寄せ、昔と変わらない心配そうな表情を浮かべている。子供はいつまで経っても子供、孫はいつまで経っても孫なのだろう。私が頷くと、少しだけつんのめった歩き方でキッチンの方へ歩き始めた。膝が悪く、糖尿病で手足の先も痺れているからだろう。一歩毎に振り子のように左右に揺れる背を見送る。運び込んだ荷を解き始めることにした。自室はきめの粗い埃が積もっている以外は変わった様子はなかった。

 その夜、私と母とミワの3人で兵庫区のカプリチョーザの卓を囲んだ。イカスミパスタとチーズハニーピザが運ばれてきた。バービィにも声は掛けたのだが、カクが帰ってくるからと家に残った。
 ミワは久々に見る私を居ないものとするような視線で、小遣いを増やしてもらうよう母に交渉している。 イカスミに染まった口元、その周囲の筋肉は特に口角を引き下げる方に発達しており、言葉遣いは裏付けのように皮肉っぽい。一方で、いかにもキラキラとした夢を見ているような幅の狭い二重瞼の目は、現実の光を捉え始めている。ミワがチーズピザに垂らした蜂蜜は拡がるように形を変える。母は目を落としそれを眺めながら聞いている。
「いくらもらってんの?」と助け舟を出すと、ミワはこちらへ向き自然な態度で答えた。一瞬にやりと笑みを浮かべたようにも見えた。
「5000円。でもな同級生の皆は10000円とか貰ってんねん。今回の試験もミワ、クラスで1位やってんで。」ミワは音大を目指している、と母親から前情報として近況報告を受けていた。
「でも、ご褒美に鉄板焼き屋連れて行ってもらえるんちゃうん。」母が我儘を諭すように口を挟む。3児の母だけあり、おねだりを躱すのが上手い。困ったように突き出した唇もまだらに黒く染まっている。イカスミパスタの海を凝縮したような味わいは、暖かい南の海よりも暗く冷たい海を連想させる。しかし暗く冷たい海こそが、漕ぎ出すべき海だろう。
「ご飯とかより物がいいねん。それか自分の部屋欲しい。受験ってなったら曲も作らなあかんしな。」その言葉を言い終える前に、実家へ持ち込んだ荷物の中にコンデンサマイクがあったことを思い出していた。マイクに吹き込んだ詩はいつしか広い海を求める思いより、海洋の中央で途方に暮れてしまったことの嘆きの方が増えていった。トロンとした甘みのピザを舌に落とし、もきゅもきゅと咀嚼する。うま、と口をついて出ていた。ミワは一瞥もくれず、既に話を変え、姉のミヨが定職に就かずニートをしていて恥ずかしくて友達に話せない、と冗談半分で愚痴っていた。こんなこと言ってるけど、最後まで働かないのは私かもしれない、と開いた口の中は真っ黒だった。
 上の家に着いたとき、カクはまだ帰っていなかった。懐かしいカレーの匂いがわずかな風に乗り、3月のアウターの繊維をすり抜けた。ノスタルジーはいつかの団欒だったが、背を向けて、ミワへ良いものがあると呼びかけつつ自室までの階段を駆け上った。ミワが現れるのを待ち、ヨレたトートバッグからマイクとキーボード、それら付属の設備を取り出した。パソコンとソフトさえあればすぐにでも使える、と説明した。
「ヤスクラ家に生まれて良かったって初めて思った。」機材を注視している。左の頬が吊り上がり歪んだまま開いた口は閉じる様子すらない。「私のギター聴きにおいでよ、ドーナツもあるし、食べていいよ」

 溢れるほどのスニーカー、刀を模した京土産の傘、日に焼けた女のデッサン、カーキのボストンバッグ、観葉植物、無造作に積まれた単行本、赤い複葉機のプラモデル、パールピンクのスーツケース。下の家は無秩序に物が増えていた。ポップが散在する雑貨屋のようだった。床は見えてこそいるが、並々に注がれたオレンジジュースのように棚の生活品は今にも溢れてしまいそうだ。10年前にこぼれ落ちた一滴は私だった。ミヨが布地のソファの上で足を伸ばしてくつろいでいる。野生の犬のように一瞥をくれて手元のアイフォンに目を落とした。大きなネイルのついた指でパチパチと液晶に触れている。やはりここに私の居場所はない、そう思った。ミワが寝室からギターを持ち出して、手招きした。建付けの悪い障子戸の奥、父親の部屋のポスターは酒井法子から白石麻衣に変わっていた。部屋全体がタバコで黄ばみ、中には新しいポスターもあったが一番古いものは壁紙と同じ色で黄ばんでいた。乗り換えてからしばらく経ち、今でも追っていることが分かる。ミヨやミワが幼い頃に書いた古いイラストも貼っていたが、ところどころ破けている。剥がす理由がないから残している、そんな印象だった。パソコンを起動しソフトのインストールを始めた。
 ミワは組んだ足にギターを乗せて、チューニングを始めている。水色のエレキギター。ヘッドにはフェンダーのロゴが入っている。弾かれた弦が小さく振動する。ギターの音色にいつも、痩せた若い男の声帯を思う。喉仏の出た首筋は少しだけ鳥肌が立っている。弦を弾くのはほんの少しだけふっくらした白い指だ。白鳥が羽を折るように睫毛を降ろし、真剣な表情でチューナーの表示を睨んでいる。布団の上の白い抱き枕を足で引き寄せると、白石麻衣の顔が現れた。
「会社の人にもらったんやって、良かれと思って。」チューニングを終え、ミワが言った。クッションに腰掛けて、ミワの顔を見る。じゃ始めてくれ、とアイコンタクトで伝える。さも持って生まれた器官かのように、いくつかのメロディを奏でる。どのメロディも知らないものだったが、想起させる感情は全て美しい悲しみだった。しかし、その中のどの悲しみも私が体験したことのない類の悲しみであり共感はできない。喉仏の男は流浪民族の1人だった。星空の下で大きな篝火に照らされ、陰影の中で横顔が揺れる。血に訴えかけるように鎮魂歌や讃美歌を演奏している。若い踊り手は神への祈りを込めて舞う。人々は両親や恋人など、思いおもいに大切な人を思い浮かべ、時に声を震わせながら歌う。私は涙を流すことなくその輪に入り人々を眺めている。
「この曲、次やるねん、知ってる?ヨルシカ。」
「名前くらいはな、いいやん、綺麗な曲や。」
「TikTokにも上げて、見てくれる人も多かってん、ホンマはやりたくないけど、ほら名前売りたいからさ」ミワは学園祭で披露したドラムの動画がバズったと嬉しそうに見せてくれた。ギターを教えてほしい、と伝えると、これが最初に引けた曲だ、と丸の内サディスティックの弾き語りで応えた。正確に4つのコードに運指し、かき鳴らすように弦を弾いた。繊細な旋律を歌い切った後、口元を紡ぐようにはにかんだ。瞳孔に灯った現実の光を隠すように目は糸になった。いや全然下手やねんけどな、と。
 4つのコードを確認し、ミワはモニターへ向き直った。鍵盤でメロディを入力し始めた。
 旅は本来それ自体が目的になりうる。ループするメロディは拙くもそれを語っているような気がした。

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