夢はひそかに

google mapの案内通りに、指定された喫茶店へとやってきた。営業中と書かれたリースが下げられたドアに手をかける。丸いガラス窓越しに店内を覗くがそれらしい人物どころか客一人いない。iPhoneの液晶は予定時間の5分前を表示しているが、相手方からの連絡はない。悪ふざけのような話にも飛びつくしかないのは、俺がうだつの上がらないフリーの記者に成り下がってしまったからだ。とはいえ、今回はさすがに本当に時間の無駄だったかと溜息をついてドアを引き、店内へ足を踏み入れる。もう昼過ぎだというのにやたらと薄暗い。右腕を目いっぱい伸ばして新聞をにらみつけているマスターは、こちらには一瞥もくれず、いらっしゃいとだけつぶやく。新聞のめくられる音だけが存在感を示し、しんと静まった空気が一帯を支配していた。店内一番奥の4人掛けの席へと進んでいくと、誰も座っていなかったはずの入り口付近から女性の声が聞こえた。
「こちらよ」思わず振り返ると、フーディを身に着けたふくよかなご婦人が座ったままこちらを手招きしていた。壁に打ち付けられた百合の花弁を模した間接照明が、彼女の顔の左半面を照らしていた。一度は皆目にしたことがある顔だった。本当に当たりを引いてしまった、直感とともに背筋を冷たい汗を伝ったのが分かった。彼女こそ、本物のフェアリーゴッドマザーかもしれない、と。

俺は以前に一度だけ、おとぎ話の姫を名乗る女性へ取材をしたことがある。何かあるかもしれないと時間を割いたものの、現れたのはプリン頭にピンクジャージの不登校女子中学生だった。私はお姫様なのの一点張りで話が進まず、時間を割いて心底後悔したこと、その翌月にその子がネグレクト家庭の一人娘として夕方のニュースに取り上げられたことが記憶に残っている。しかし、自称フェアリーゴッドマザーの主張はどこか雰囲気が違った。アイスコーヒーのオーダーを済ませて、さっそく彼女の話を整理することにした。

「私は一度だってあの子のことを忘れたことはないわ。魔法使いであるこの私さえ出し抜いて幸せを勝ち得たあの女のことを。」温厚を象徴するような顔つきに憎しみの表情は似合わず、アンバランスな印象には不気味さすら感じさせた。「魔法使いの格は起こした奇跡によって決まるのよ。うっとりするくらいにドラマティックで、宝石箱をひっくり返したような煌めき、そして万人を惹きつける華やかさ、そんな奇跡が私には必要だったの。話しかけたのは、確かに私の方からだったわ。寂れた庭で泣いている姿さえ絵画のように美しかった。美女の涙のある所には、必ずなにかドラマが待っているものなの、昔も今もね。」記憶の奥を探るような伏し目は、グラスに注がれたトマトジュースに向けられていた。

あの子を初めて見つけたのは、あの子が屋敷の掃除をしているときだったわ。召使のような衣装を身にまとっていても、誰の目にも映るくらいの気品を携えていたの。雑巾がけ1つとっても、あの子の白く可憐な指はまさに泡と戯れていたようだった。立てば芍薬、歩けば牡丹じゃないけど、何をしていても画になっていた。さらに、あの子の気品を裏付けるものは容姿だけではなかった。その1つがヴァイオリンの音色を彷彿とさせるような情緒溢れる歌声だったの。屋敷のフロアに染み渡るような歌声は、屋根裏を駆けるネズミすら聞き惚れるほどだったの。さすがにネズミや小鳥達と話をしていたっていうのは嘘よ。でも、ネズミ達が密かな恋心をあの子に抱いていたって言われても不思議じゃないわ。それくらい、万人を惹きつける美しさを持っていたのよ。継母や姉たちは、そんなあの子の美しさに嫉妬して意地悪をしていた、と今は語り継がれているわね。でも、実際に「美しいから」というだけの単純な理由で本当に人が人をいじめるものかしら。しかも、中途半端じゃなく実際に国を動かしちゃうような絶世の美女よ。引火材料にはなりうるかもしれないけれど、それっぽっちの理由だけでいじめたってみじめな気分になるだけだわ。何故あの子ががひどい仕打ちを受けていたのか。火種はちょっとしたすれ違いだったのだと思うわ。

あの子は嫌なことがあると決まって「信じていれば夢は叶うもの」と自室で1人歌っていたの。継母や姉2人と暮らすことが決まった時も、父が亡くなった時も。継母が眉を顰めてそう語っていたわ。それは継母たちにとっては、否定されていることに等しかったのよ。お互いがお互いを受け入れられなかった。当然、その溝は日に日に少しずつ深くなっていったの。あの子の「夢見る」時間も比例するように長くなっていった。防衛規制の一種だろうね、継母達は悪、そこから救い出してくれる何かがきっといつか現れるってそう夢見てたの。ふふ、そうね、結局、女っていうのはいつの世も排他的なのかもしれないわね。

舞踏会の夜、見るも無惨なドレスを纏ってあの子は泣いていたわ。ほとんど屋敷から出ることもない少女が、城の舞踏会に何を夢見るか、きっと今の子たちの10歳児程度の想像力もなかったろうね。ただあの子はそんな拙い「夢」に縋っていたの。そんな子供じみた夢すらも、ドレスのようにビリビリに破かれてしまった。残酷だけど、どんなどん底にいても希望はなかなか捨てられないものよ。淡い夢がさらに遠のいた失意のどん底の少女の前に、私は取引きを持ちかけた。私は貴女の舞踏会の参加を手助けするわ、だから貴女は誰もが羨むようなドラマを私のために作りなさい、と。泣き腫らしたあの子の目が光を取り戻した。少なくともその目は宝石の山や食べきれないほどのご馳走を見据えているわけではなかったわ。少女の頭に真っ先に浮かんだものは身を焦がすような復讐心であることは、火を見るよりも明らかだった。しかし、にこりと作った笑顔は息を呑むほどに美しく、思わず身震いしたの。

「あの子はは初めての舞踏会でも難なく魅力を発揮したわ。ワルツのステップは星の物語へ、王子すらコバルトブルーに染まったわ。ガラスの靴を落としたのは故意ではなかったようだけど、それがあの子の生まれ落ちた星なのよね、きっと。」こうして誰もがうっとりするようなドラマが作り上げられたのだった。話の頭に立ち返って、彼女のどこが不満なのかを問いた。
「魔法使いは起こした奇跡で格が決まると言ったわよね。それは起こした奇跡で人々から認知されるからなの。人々のイメージこそが私たちの実像となってしまうのよ。わかるかしら。実は私ね、自分でも胸張れるくらいに美しい魔法使いだったの。あの子にも引けを取らないくらいの美女だったの。なによその目は、本当よ。なのにあの子は、ドラマとして後世に残す時に、私を下膨れ顔のおばさん魔法使い「フェアリー・ゴッドマザー」として残したのよ。私は美しいカリスマ魔女として人々の記憶の中で生き続けるつもりだったのにね。こうして私は肝っ玉母ちゃんみたいな顔で何百年も生きてるってわけ。」自分自身へ理解を促すように、俺は頷いた。
「シンデレラの物語が世間に知れ渡った時、あの子はもう病床に臥していたわ。ある夜、2人で話せる時を見計らって、部屋に忍び込んだ。あの子はしわくちゃだけど穏やかな顔をしていたわ。何故、私をこんな小太りのおばさんにしてしまったのかと問いただすと、私が1番綺麗じゃなきゃ嫌だ、と悪戯な笑顔で言ってのけたわ。それからすぐにあの子は亡くなった。今になってもたまに考えるのは、あの子の見ていた夢のこと、何を夢見ていて何が欲しかったのか、今となっては確かめる術はないけどね。」魔法を使えば良いのではないか、と口走りそうになったが、野暮だと思い留まった。

2組の親子が店内へ入ってきた。掛け時計に目をやると、だいたい15時を過ぎたくらいだった。見たところ幼稚園からの帰りのようだった。自分達の世界に夢中になっている子供の1人が、駆け込んだ勢いに任せてこちらのテーブルへとぶつかった。トマトジュースのグラスが倒れて、飛沫が制服に赤いシミを作った。平謝りする若い母親をヨソに、ゴッドマザーはおしぼりを手に取った。
「見てなさい」いまにも涙をこぼしそうな子供へ声を掛けて、おしぼりでシミを隠して呪文を唱える。
ビビディ
バビディ
ブー
おしぼりを払った。すると、赤いシミは初めから無かったかのようにシャツから消えていた。
「ちゃんとお母さんの言うことを聞くのよ、坊や。隣のお母さんだけは、きっといつも坊やの味方だよ。」子供と母親はペコリと会釈をして奥の席へと歩いて行った。見事な魔法でした、とゴッドマザーへ伝えた。
「あなた、おしぼりを被せて呪文を唱えた時にシミが消えたのを想像したでしょ。奇跡を信じる人がいるから魔法使いは魔法が使えるのよ。こんな世の中、おかげでもうシミ抜きくらいしか出来なくなっちゃったわ。」魔女は笑う。

22/04/10

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