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第七章  本領発揮

紫式部は、お父さんが漢学の知識があるため弟に教えているのを聞いて、
耳学問で漢学を取得したらしいです。
当時は「女は和歌、男は漢学」「女が漢学の知識をひけらかすのははしたない」などとされていたそうです。
なので、そういった世間の目?を気にして、紫式部は漢学の素養を出すことは控えたようです。

ですが、帝(一条天皇)は源氏物語の作者が漢学の素養があることを見抜かれた・・・
先のお后の定子様はお母さまが漢学の素養があったため、漢学の知識はあったようです。
定子様と一条天皇の仲が良かったのは、定子様が漢学の知識があったため一条天皇の仕事?にも理解があり、帝は身近なお后が良い味方となってくれたのがうれしかったのではないか・・・と紫式部は推測します。
漢学の知識がなければ当時の政治のことなどわからない、
つまり定子様は夫の仕事のよき理解者であり、味方であったと・・

ですが、その定子様は先に亡くなっていました。

彰子様が、紫式部に漢学を教えてほしいと命じたとのこと。
なぜ?と紫式部は考えます。

亡き定子様をライバル視されている?
いやいや そんな事ではなく………

彰子様はただただ帝の良き理解者になりたい・・・・と願われてのことではないか?と考えをめぐらせます。

彰子様は定子様とちがって道長夫婦の考えかからか、漢学は学んでいなかったようです。

1008年、彰子様21歳の時にようやくご懐妊、
ご懐妊中、彰子様は紫式部の元で漢学を熱心に学ばれたようでした。
両親である道長夫婦も、夫である帝も彰子様が漢学を学ぶことは歓迎したようです。

「女が漢学だなんて、はしたない・・・」なんていう噂好きのうるさい女房たちもいるので
かえってご懐妊中ということが幸いして、彰子様は静かな環境の中でしっかりと学ばれたようでした。

紫式部が選んだ教材は 中国の白居易の「新学府」
これは白居易が政(まつりごと)の為に作った詩とのこと。
白居易が民衆の声として役人や皇帝に聞き届けられ、政治を変える詩をつくろうという意図のもとつくられたようです。

帝の漢詩の中にも漢学を学んで為政者としてこの国を安寧に導きたいという思いが表れていると感じた紫式部・・・・
お后の彰子様も漢学を学ばれるのであれば、帝の良き理解者になると・・・
そしてご夫婦で手を携えてこの国を安寧に導いてほしい・・・

漢学の素養があることは紫式部の骨格であると・・
今まで隠してきたことが、今、それも彰子様の為に役に立とうとしていることが紫式部は本当に嬉しかったのではないかと思いました。
ついに本領発揮、自分の居場所が見つかった・・・
よかったなあ・・・と思いました。



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