SEX(詩)

 「いやね、僕らはセックスを神棚に祭り上げて、そのもとで暮らしているに過ぎないんだと思うんだよ。」
 深夜4時、新宿の安居酒屋で私は彼に語りかけた。不幸と幸福は常に同時にやってくる。我々のいう幸福も不幸もおそらくただどちらかに鈍感なだけなのだ。どちらかを見ないこと、もしくは見えないこと、それが私たちの個性であり、その人らしさである。そして私はもっぱら幸福に気付きにくく、その夜もその味に酔いしれていたのである。
 付き合うことのない、女との同棲ほど辛いものはない。まして、それが私の好意を寄せている女性であれば尚更である。今日、彼女は何処か知らない誰かの家に泊まるようであり、私の心は引き裂かれ、もはや希死念慮以外に脳に浮かばないのではないかという気持ちになっていた。見かねた友人がわざわざ、私に会いにきてくれたのである。彼がバーに着いたのは、私が自らの陰部にタバスコをつけて悶絶し、それを常連が笑いながら見てる一幕の終わったころであった。それから、しばらく場所を転々とし、最後辿り着いたのが深夜4時の酒場。彼は既に辟易し、話は何周目かの性についての問答となっていたのである。
 「ピーターバーガーという社会学者が言うにはだ、この社会は聖なる天蓋によって覆われてるから成り立ってるんだって。聖なるもの、つまり一番大事なものってことだな。その宇宙観の中に僕らはセックス=愛=至上のみたいなものを組み込んでる気がするんだよ。」
 彼は納得のいかないような、あまりピンとこないような顔で私を見つめている。この店の酒は驚くほど濃く作られており、私の目の焦点は既にあっていないのである。
「例えば、エロティシズムっていうのはバタイユがいうには侵犯なわけだよ。で、侵犯ってのは禁止なわけでしょ。禁止ってのはつまり、世界の見方、ゲームのルールなわけ、それを見ないと僕らはこの世界すら認識できないの。ホイジンガがいうようにね。それってつまり、仮にセックスの基準が以上に低い、そうだなあハプニングバーみたいなところがあったら、そこにはエロティシズムは生まれないわけよ。侵犯が起きないからね。ってことは僕らはセックスを神棚に上げることによってやっとエロを感じられるわけだ。だから僕は付き合えない娘と同棲している今が一番エロいってわけ。そう思うだろ。そう思うと贅沢だよな。これそこ、詩だよ。」
 彼は来たことを後悔したような、それとも哀れむような目で私に言う。
 「はあ。おじさんの限界てこんなになるんですね。」
時間はすでに始発が迫り、隣のカップルは眠りこけ、東南アジアからの留学生であろうメガネの女性店員はそれを咎めるつもりもなさそうである。
「まあ、確かにセックスは大事ですよね。それと同時に俺は嫌悪している気もします。」
「そう!それを僕はやめたいの!そして、そのまま死んでしまいたいんだよ!これは緩やかな自殺さ、この呪われし身を滅ぼすための聖なる儀式なのさ!」
彼は笑う。始発まであと1時間を切る。私は気づいていないのである。幸福と不幸は常に同時にあり、そして、幸福を感じる能力の乏しいものにはただ時間が浪費して、あっという間に歳をとることである。そう、そして、それはおそらく幸福なことなのだ。新宿は汚い街である。ネズミとゲロと、まったく貧しい心の棲家である。声をかけるのは黒人とキャッチだけであるし、ネオンは煌々と光りながら、朝など知らぬから自分で照らすのだと息巻いている。
「あーあ、本当に好きなんだけどなあ。」
どうしようもないことはいくつもあり、そして、それらは誰かの羨む、豊かさなのかもしれない。小田急線のシートにもたれて、2人は、朝などというものの実在に疑問を呈すのである。それこそがまことのリアリティであり、リアリティほど朧げなものにすがってもしかたがないように。ゆっくりと電車は動き出したのであった。

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