2099年の賽銭泥棒

 雰囲気が大事な賽銭箱はこの時代でも、現金主義。そして不届き者も健在。それは私の話ではなく、彼女の話である。毎日のように古式ゆかしき賽銭泥棒に挑んでいる、正確には挑みかけているのだ。昔ながらの神社の風体をしておきながら、四六時中、巫女さんをかたどったドローンが目を光らせている上、狛犬に見せかけた警備犬ロボットと万全の布陣。風情も何もあったものではない。そのため、少しでも不審な動きをすれば警告音がなる。
 隙間に手を伸ばしたり、押し倒そうとしたりと、すべて寸止めのために怪しい部族の踊りの如く。その様子を草葉の陰からみているのが、私である。間違っても京大生ではないし、若者でもない。気味悪いだろうが、彼女がうら若き乙女としても、賽銭泥棒未遂犯なので引き分けであろう。
 そんな独自の理論でストーカーに及んでいる。彼女は一汗かくと、月の光に照らされて、かくも天女の美しさ、何ゆえあのような挑戦をしているのか。真っ青なワンピースからのぞく、うなじ、おみ足、くるぶしと肌のでている個所をなめるように見まわして、後をつける。よくないと思いながらも、彼女への興味、主に性欲が私を突き動かす。彼女は坂を上がった、遠くにビル群の見えるマンションに住んでいる。築年で言えば数年といったところか。金に困っているわけでもなさそうだ。
 彼女がなかへはいったところで、私はそろりと踵を返して帰路につく。
 シャワーもそこそこに後姿をオカズに絶頂へ没頭、むなしく下山。名もしらぬ彼女を人知れず日々の糧としてしまっている。罪悪感と背徳感にまみれたこの感情は「恋」だろうか。物思いに更けて、夜も更け、やがて明ける。

 ここまで書けたのは、森見登美彦先生のお陰と言っても過言ではない。
さて、彼女は本当に賽銭泥棒なのか。案としては大事な指輪を落としてしまった為、回収しようとしていただけとか。それなら神主に申し出ればよい。
もしかして、彼女は幽霊かもしれない。神社と所縁の或る。
 この雑文はいつか使える日が来るのだろうか。否、単なる練習にすぎない。他方、賽銭箱の最古の記録は鎌倉の鶴岡八幡宮らしく、時代は戦国時代以降。この頃から賽銭泥棒はいただろうが、手法と動機は当時からほとんど変わらない。まさに古式ゆかしい伝統的な犯罪。罰当たりな行動はどこかユーモラスで、小悪党、情けない。そしてしょうもない。
 どれだけ時が過ぎようと無くならない、どうしようもない犯罪である。
ちなみに賽銭泥棒をネタにした理由は、ニュース番組でたまたまやっていたから。毎日書くのだからネタの入手先など知れている。
 蛇足はこれくらいにして、明日はコレよりマシな文章をかきたいものだ。

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