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シクラメン その4

秋、買ってきたガーデンシクラメンをベランダで植え替えていた。
初めてのシクラメンの植え替えは上出来、自己評価ではあまりにも美しい一鉢が完成した。午前中の日差しの下、太陽にかざしてみようと鉢を掲げ、光を浴びたガーデンシクラメンに惚れ惚れとしながら自画自賛の悦に浸っていた。

その瞬間、目線のちょうど先のビルの扉から出てきた夫婦と、シクラメン越しにバッチリ目があってしまった。

目が合った時間、お互いの時が一瞬止まった。
ふと時計に目をやった時、時計の秒針が一秒間以上止まってみえることがある(クロノスタシスという現象らしい)。まさに我々三人はクロノスタシス現象の中にいた。
いや、その夫婦は実際、見てはいけないものを見てしまったと、現象ではなく物理的に立ちすくんだに違いない。クロノスタシス最中の0.5秒目ぐらいに気づいたが、こちらはライオンキングでヒヒがシンバを掲げて動物たちに誇るシーンと同じ構図で、ベランダから世の中にシクラメンを掲げていたからである。

夫婦は階段を降りながら、踊り場に出るたびに、こちらの様子を伺う視線を投げかけてきた。こちらとしてはライオンキングを途中でやめるわけにはいかなかった。ベランダー同志たちのためにも、これを恥ずべき行為と認めるわけにはいかないのだ。そして彼らの存在に気づいていないふりを装いながら、観客がベランダの視界から消えるまで数秒の間1人で劇団四季を演じ切った。

この出来事のおかげで、ガーデニングにマスクと帽子と手袋は必須アイテムであることがよくわかった。農薬や日焼け対策ではなく、俳優がサングラスやマスクで素顔を姿を隠すのと同じ理由で、である。


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