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天然石と私

私は石が好きだ。
写真のブレスレットは、とあるお店で自分好みの石を選び、どんどん並べ、時にリメイクと称して石を一部差し替え作った、自分だけのブレスレットだ。石それぞれの相性だの、宿る力だの、まったく関係ない。考えてもいない。好きだから数珠繋ぎにしてみた、それだけだ。

私が天然石に興味を持ったきっかけは、新宿の紀伊國屋書店の一角で、色々と売られていたのを見たからである。当時は、寮生活で食費を切り詰めながらの生活だったため、まるで魔法使いが手元に置いていそうな大きな水晶玉などを、お高いなあとため息をつきつつ、いつも眩しく眺めていた。色とりどりの天然石に見入り、心を踊らせた。時間を忘れて店内を歩き回ったりもした。いつか自分だけの大切な石を買おう、と夢見ていた。

その頃も、今も、天然石の由来や種類については、てんで疎い。特に学んでこなかったからだ。私の「石が好き」という気持ちは、例えば子供が道端でちょうどいい丸さのものを気に入ったり、海辺で角がとれたガラスの欠片を素敵に思ったり、の延長でしかない。宝飾品になるほど完成度の高い石も好きだが、神社で300円ほどで売っている天然石入りおみくじの方がもっと愛しく感じる。知識があったら、さらに楽しいのかな、と考える時もあるが、なくても楽しい。そのくらいの距離感なのだ。

とある天然石のお店の話もしたい。ここは、完成品のアクセサリー、ブレスレットなどに使用するのだろうパーツ各種、原石、果ては数十万ほどするものなど、様々なものを取り扱っており、店は中年らしき店長と、お兄さんの2人だけだった。
入ると、だいたいのお客さんは、パーツを買っているようだった。店頭に出ているだけでも豊富で、しかも安い。手軽に作るには、うってつけの材料がたくさんあった。
私は、ブレスレットを作りたい、と思い、まずどうしても入れたい石を告げた。べギオン(写真では、金色っぽく表面が加工され、腐食によりやや黒ずんでいるもの)が、どうしても欲しかった。隕石に憧れていたために。
そうしたら、お店のお兄さんが、カウンターの後ろから色々と石を見せてくれて、「これはどうだろう」「こんなのもあるよ」と勧めてくれ、やはり欲しかったスギライトと、サンストーンを出してもらい、そこからはイメージで全体を決めていった。
意図せず、ピンクっぽく仕上がり、面白い石が集まったので、大満足だった。のちに、2度ほど石を入れ替え、今の形になるのだが、その辺はやはり感覚のみで、なにか意味があったわけではない。

緑と黄色のブレスレットは、しばらくしてからつくった。今度はどうしても、リビアングラス(やや大きめな石で、写真だと少し白っぽく、よくみると砂が混じっている)を手元に置きたくなったのだ。ペリドット(緑色の石)は、予算を告げた際にお兄さんが、これはどうです?とやはり後ろの棚から出してきたので、これにしたいな、と加えた。すこし黒っぽく映っているのは、モルダバイト。この時は、それなりに高くなってもいいや、と思って来店したので、割と自由に選んでいた。

天然石との出会いは、一期一会だ。
私はブレスレットの他に、小さめだが、ガネッシュヒマールやハーキマーダイヤモンド、アーカンソー産の水晶などを少し持っている。あれこれ天然石を見てきて、結果、最初に紀伊國屋書店で見て憧れたように、再び水晶に戻ってきている感じだ。手頃で、持ち運ぼうと思ったら可能な大きさのものばかりだが、たまに触れるとなんだか安心するのだ。

1度行ったくらいだが、またミネラルショーにも行きたいし、長らく足を運んでいないとあるお店にもいきたい。誕生石がダイヤモンドなので、小さくていいからダイヤモンドのついたピアスも買いたい。水晶も、各産地のものが欲しい。新潟出身なので、糸魚川の翡翠も縁があったら手にしたい。
夢はたくさんある。ただ、好きだなと感じるものだけで、身の回りを少し飾れたら、私はそれでいい。道楽とは、実際、そんなものなのではないだろうか。


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