私が唯一、愛する香水

フォロワーさんが『匂い』について書いていらっしゃった。
ならば私も、と書き始めたのだが、実はそれ程に香水などを知らない。というかほぼ昔から変わらず同じものを使い続けている。

実は最近、店員さんに勧められ買った、ローズ系のトワレがなくなり、近場のデパートで新しいものを調達しようとした。わざわざ香水のためだけに出かけるのも面倒だし、その店ではコロンなど売っているのを知っていたからだ。

立ち寄ると、あまり気にしていなかったが、思いのほか、色々なコロンが置いてあった。この中から、なにかひとつ、自分にとって最上でなくていい、人に不快な思いをさせない程度の品があればいい、と一本のコロンを手に取り、どんな具合かと少しだけ、手の甲に付けた。本当に、僅かな量だったのだが──。

ダメだった。あまりにも私に合わなかった。鼻を突く刺激臭と、変な甘ったるさ。おそらく私が苦手な種類のハーブ。これらがいっきに脳まで駆け上がって、申し訳ないがその場で吐きそうになった。つらくて涙が出た。

その後も、試した香料が消えず、何度も手をウエットティッシュで拭いたのだが、長々と残り続け、食事の時などそのコロンを食べている感触がした。最悪だった。気持ち悪くて、頭痛と吐き気に夜まで悩まされた。

もちろん、その香りが好きな方もいるだろう。すべてを否定したいわけではない。ただ、私との相性が悪すぎた。それだけの話だ。

私は、どちらかというと嗅覚が鋭い。と、思う。特に偏頭痛が起こると、もう外界の匂いすべてが死ぬほどつらい。耐えられない。草、土、花、通勤電車の人混み、空調、なんでもないものまで、苦しくて倒れそうになる。胃の奥がキリキリする。

一時期、とても忙しかった頃、私は部屋の匂いを徹底してこだわった。色々と調べて、試して、ローズ系がいいと分かったので、あらゆる香料をローズにした。部屋のなかも、洗剤も、シャンプー&リンスも、トイレの芳香剤も、店頭で探してローズ系ならと買い漁った。

友人や身内は、私の部屋に来ると薔薇の香りがする、と言った。まあ、そこまで統一したので、当たり前ではある。ある時、部屋にあるダンボールで宅配便を友人に送ったら「明良さんの匂いがした」と言われたくらい、私の部屋は薔薇臭かった。

そして、今回。
若かりし頃に背伸びして購入し、ずっと使っていたトワレを通販した。
少なくとも、ローズ系ではない。ミドルノートにローズも入っているらしいが、全体としては薄い。
それが、これだ。

多分、この香水は若者向けではない。言い方はよくないが、古さを感じる。爽やかさより、濃密さの方が強いと思う。

私が20代前半で、このトワレを使い始めた理由は、単純にして不純。好きなアーティストの平沢進の楽曲に「DUNE」があるからだ。関係あるかと言われたら、まったく関係ない。ただ名前が一緒というだけだ。

DUNEのコンセプトは、公式いわく「果てしない空間と軽やかな風を感じる、自由への香り『デューン』。海と花とが親しみあい奏でる清らかで澄みきったオセアニック フローラル ハーモニー」とある。

トップノートは、ウッディ・アルデヒド・オレンジ・ベルガモット・ピオニー。
かなり強烈な印象だ。シュッとつけた瞬間、がつんとくる。アルデヒドが苦手という方もいるようだ。花束を煮詰めて、スパイシーなアクセントを加えたみたいにインパクトのある香りがする。

ミドルノート。リリー・イランイラン・ジャスミン・ローズ。
しばらくすると、華やかな香りに変わる。けれどそれは、女性らしい甘さはあまりなく、クールなゴージャスさだ。
エキゾチックな雰囲気でもある。どこか遠い異国に来た気分だ。ローズはあまり感じない。少なくとも、私にはよく分からない。それぞれの香料が混じりあって、名前通り「砂漠」をイメージさせる。

ラストノート。サンダルウッド・アンバー・オークモス・パチュリ・バニラ・ムスク。
最後には、しっとり色気のある匂いになる。昼よりも夜。しかも深い時間帯に合いそうである。大人の女性が、イブニングドレスを身にまとい、高級なタクシーで社交場に向かうようなセクシーさ。落ち着いた装い。けれどまろやかな甘さもあり、包み込むような優しさもある。

DUNEは海外ブランドのため、日本人にとっては、ややきつめかと思う。ワンプッシュで、鮮烈に香るので、うっかりすると香害になりかねない。私はいつも、太ももか、脛にプッシュする。香りは下から上にあがるので、ふんわり漂わせるには、かなり下からだと丁度いいくらいだ。

そしてDUNEは、どうやら異性受けはしないらしい。まあ、そうだろうなと私も納得している。可愛げがないのだ。愛嬌など知らん、といった個性的な香りなのだ。

私は昔から今に至るまで、スカートは滅多に着ない。上半身はTシャツにカーディガン、もしくは長袖のシンプルなシャツ。下半身はジーンズかパンツ。髪型は常にショートカットで、やや身長が高めなので靴はシューズかパンプス。ユニセックスか男っぽいか、どちらにしても女性らしい格好はしたことがない。

そんな私に、DUNEは寄り添ってくれる。そのままでいいよ、と語りかけてくる。素っ気ない格好をしている私に、ほんの少し彩りを与えてくれる。前向きに、力強く、一歩一歩を歩く助けになっている。

とはいえ、前述したように、DUNEはかなり強めのトワレだ。あまり調子がよくない時につけると、匂いに負けてしまうので、使用は注意している。

海と花、とコンセプトにはあるが、あまり海を感じたことはない。お香のような、やや年配の余韻が残る。これを若年で使っていたなんて、本当に私は年齢より老けて見せたかったのだな、と今にして思い出す。

職を得て、地方から上京して、少ない給料で生活して、毎日混んだ電車に乗る。それは学生だった私が、強靭であれ、と変わらなければならない転機だった。
どこに行くにも、東京は複雑で、なんでもあるが、なにもない。道行く人が、振り返りもせず通り過ぎて行く。
配属された部署は特殊で、ついていくのがやっとだった。給料日に、頑張ったご褒美にと、トンカツとクレープを食べるのが楽しみだった。幼なじみはほとんど地方に残り、新しくできた友達は三人だった。いないよりマシだが、全員が仕事に忙しく、かつてのように気軽に誘えなかった。

自覚はなかったが、寂しかったのだ。心細かったのだ。漫画家になりたいという夢も早々に諦め、細々と一人で同人誌を作り、けれど誰も私を顧みない。東京は夢があるが、実際は乾いている。同郷は、噂に聞く限りだが、三年ほどで地元に帰ったらしい。孤独に慣れている私ですら、生きづらさを抱えていたのだから、見知った仲間がいる場所に戻りたくなる気持ちもわかる。

そんななかで、私が見つけたのが、DUNEというトワレだ。きっかけはなんであれ、DUNEをつけて出勤すれば、一日中、支えてもらっている気がした。前へ前へと進めた。職場のトイレで泣いた時、理不尽な要求をされた時、セクハラにあった時、行きたくない飲み会に強引に連れ出された時、DUNEはいつもそばにいた。励ましてくれた。

改めて、またDUNEを買い、その香りを纏った私は、昔の様々な出来事を振り返りつつ、ここまで来たよと誇らしくなる。
唯一、私が愛したトワレ。それは自分が積み重ねてきた時間の凝縮であり、肌に馴染む、たったひとつ相棒なのだ。


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