漫画家になりたかった子供は夢ばかりみる②

最近、絵を描きたくなっている。
もう20年以上、なにもしてなかったくせに、近ごろのお絵描きソフトは高性能のようだから、私もイラストが描けるんじゃないかと、妙な勘違いをしているのだ。
無茶である。無謀である。夏に買ったばかりのパソコンは、動画を見たり、ちょっとしたゲームをするには問題ないが、画像を扱うにはスペックが低い。そもそも私は、途中で放り投げたこともあり、人物すらまともに描けない。というか、人物が昔から苦手なのだ。点描やら網掛けやらの方が、まだましなくらいだ。

私は子供の頃から、やたらと画材に拘り、結果として本質を見失いがちだった。いいクレヨンがあれば、いい絵が描けると思い込んでいた。自分の下手さを棚に上げ、大人用の素敵なクレヨンに憧れ、お小遣いの少なさを嘆いた。

そんな具合だったから、就職してからは、むやみやたらに画材を買い漁った。
「ホルベインの絵の具」「ドクターマーチンのインク」「レンブラントのパステル」「ゼブラのGペンや丸ペン」等々。
特に欲しくてたまらなかったのは、コピックとカラートーンだ。当時、某有名漫画家集団さんが、発色豊かなイラストを描いていて、眩しいばかりに輝いていた。華々しく活躍していた。

しかしコピックやカラートーンは、色味が様々あるため、いくら働いていたとはいえ、買い揃えるには高価だった。給料はイベントで同人誌代と消え、バンギャでもあったので衣類にも使い、日々、寮の近くにあった画材屋を覗いては、とても手が出ないとため息をついていた。

当たり前だが、道具一式が立派であっても、画力は向上しない。私は色の足し算ばかりしてしまうので、水彩画に挑戦すれば色が濁り、油彩を試せばゴテゴテの散らかったものになる。友人は皆、絵が上手い人ばかりで、それは私が彼女たちを尊敬していたため、積極的に交流し、ありがたくも仲良くなれた訳だが、周囲がそんな風だとしばしば落ち込み、実力を羨んだ。自ら人を選んで親しくなったくせに、勝手な話だ。友人の誰1人、私を揶揄せず、あまつさえ共に同人誌を作ろうと誘ってくれたのに、一時期、その優しさが重くなってしまったのだ。

「明良は、文章の方がいいよ」と指摘された時、あっさり字書きに転向したのは、友人に対して引け目を感じていたからだと思う。なにか作品を完成させたら、やはり褒めて欲しい。よかったよと感想を貰いたい。また一緒に次の本も作ろうね、なんて言われたら、もう有頂天だ。高校時代から好きだった大手サークルさんは、絵描きと字書きのコンビで、ひょっとすると私も、友人とそんな二人三脚でやっていけるかも、と考えたりもした。要するに、自分勝手だったのだ。

結局、私の手元には、使用する予定のない絵の具やスクリーントーン、雲形定規、漫画用原稿用紙、スケッチブックなどが虚しく残った。未練がましいのだが、長らく捨てられなかった。今も、一部が手元にある。もしかしたら、ふとイラストが描きたくなるかもしれない、と心のどこかで自分に期待しているのだ。ペンを握れば、すらすらと素敵なイラストが生み出せるのではないかと、ありもしない未来を夢見ているのだ。そんな奇跡など、起こるはずもないのに。

今、友人のひとりが、長いブランクからまた、絵を描き始めている。ずっと同人誌で漫画を描いていたので、リハビリだと言っていたが、私の目から見れば、十分に上手い。センスもある。それらはきっと、過去の積み重ねからくる技術だ。努力の賜物だ。

では、私はどうするか。気力が湧いてきたので、チャレンジしてもいいかな、と考えている。下手でもいい。パーツが狂っていてもいい。まずはやってみることが大事、と勇気を出して頑張ればいい。

なんて、頭では分かっているのに、先日、新宿の世界堂に足を運んでしまった。さすがに中には気恥ずかしくて入れず、店の看板を写真に撮っただけであるが。また性懲りもなく、画材を集めてしまいそうで、少し怖い。自分の性格を知っているので、若かりし頃の見当違いをやらかすのではないかと、戦いている。

夢は大きく、と言い訳しながら、もしかしたら私はまだ夢の中にいるのかもしれない。それほどに、絵描きさんは魅力的な存在なのだ。

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