私をコミケに連れてって

まだ「腐女子」「BL」という言葉がなかった頃、私はオタクの世界を知った。16歳になったばかりだった。きっかけは、友人が持ってきた、とある作品の同人アンソロジーで、商業誌と同じような扱いで店舗にて売っていたものだ。

「明良には、まだ早いかなぁ」
なんて茶化されながら、友人が見守る中で読んだそれは、確かに衝撃的で刺激的だった。別に激しい絡みが掲載されていた訳では無い。せいぜい男の子同士のキスシーンだったり、恋愛模様だったり、少女漫画とさして変わらない内容であったのだが、私には驚きに満ちた一冊だった。ものの見方が一瞬で変わる体験だった。無意識に、恋も愛も異性間の感情だと思い込んでいたため、日頃からなにか違和感を抱えて過ごしていたこともあり、これなんだ、と発想の自由を得た心持ちだった。

以後、怒涛のように、私は同人誌をこっそり買うようになった。田舎だから、通販が主だったが、両親は私宛の郵便物を勝手に開けたりしなかったので、家族が寝静まってから、寝てるふりをして、布団に潜り、卓上のライトだけつけ、夢中になって読みふけった。

類は友を呼ぶのだろうか、仲の良かった皆は、ほとんどがオタク趣味に没頭していて、お小遣いが多くない年齢だからと、その手の雑誌や同人誌は、手分けして購入し、集まった時に貸し借りをしていた。なかには、毎月「JUNE」や「薔薇族」を買ってくる猛者もいた。

いつしか、1人では無理だからと、サークルを作っていた。当時のことは、無我夢中だったからか覚えていないことも多いが、原稿をつくるため、友人宅に集合などして、印刷所もどこかから情報を仕入れ、それぞれがバイトを始める等々、一生懸命だった。真剣だった。

しかしそれでも、新潟からコミケに行く交通費や参加費はそれなりにかかる。本を作ってみても、部数が少なく、いきなり大きなイベントなどには行けない。落選だってある。手始めにと、私たちが参戦したのは、地元の小さな小さなイベントだった。

記憶違いなのか、事実だったのか、自分にはもう分からなくなっているが、最初のサークル参加は、公民館のような狭い場所だった。なぜ、そんなところで同人イベントがあったのか。同士が開催に尽力したのか、小規模のオンリーだったのか。それすら覚えていないのだが、強烈に印象に残っていることがある。集まった人々が、まったく接点のなさそうな、がっしり目のミリタリーっぽいお兄さんや、お洒落した綺麗なお姉さん、私たちのような高校生、などなど、多種多彩で、けれど全員が「ここにいるのは仲間だよ!」と、とても優しく、にこやかで、手が触れるくらい近かったことだ。
ジャンルなど関係なかった。カップリングなど問題になってなかった。みんなマイナーかもしれないけど、ここでは肯定されるのだ、という雰囲気に満ちていた。

おひとり、可愛らしい子がいた。控えめだがキュートなワンピースを来て、メイクして、にこにこと笑顔を振りまいていた。女装した男子だった。「この格好がしっくりくるんです」と歌うような話し声は、喜びにあふれていた。
ジェンダーもマイノリティーも、世の中で取りざたされる時代ではなかった。おそらく、彼は日常に戻れば、異端として扱われ、だからイベントだけ素顔だと思う姿になっていたのかもしれない。
なんだか嬉しかった。居心地が良かった。ここは誰も私を否定しないし、他人を否定しない。たった数時間、広くはない空間が、みんなの生きてる輝きでキラキラと眩しかった。

これに味をしめ、我々は細々と同人誌を作り、新潟で開催されていたガタケットというイベントにも参加するようになった。今のレイヤーさん達からみたら、お粗末極まりないだろうが、ちょっとしたコスプレもした。そこそこの規模なため、大手サークルさんの委託もあり、お小遣いと睨めっこしながら、欲しい本を買い漁った。調子に乗った私は、学ラン姿で、客引き(?)をしつつ、踊ったりもした。

とはいえ、楽しい瞬間は、このイベント内でのことで、家に帰れば勉強があり、漫画やアニメにあまり良い印象のなかった両親からの制約にじんわりと縛られ、己が一般と少し違うかもしれない現実に向き合うことになった。
1度、クラスメイトの女子が、私が鞄に入れていた(まず、持ち歩くなという話だが)同人誌に興味を持ち、「面白そうだから読ませて」と言われ、貸したら、翌日に他の皆に、「明良、こんなん読んでるんだよー、気持ち悪ぅい」と何人もの前で晒されたこともあった。自業自得だし、本を作って下さった作家さんにも酷いことをしてしまったが、世間では、まだまだオタクは何を考えているか分からない存在なんだなあと実感し、己を戒めた出来事でもあった。

活動につれ、大好きな同人作家さんも出来、私はコミケに行こうと決意した。18歳だった。とにかくバイトをして、まとまったお金を作って、今はもうなくなってしまった夜行列車に乗り、親には「東京の就職でのリサーチ」と大胆に嘘をついて、明け方の東京に降り立った。

イベント会場最寄りから徒歩で歩いたのだが、抜けるような真っ青な夜明けの空と、会場に向かうタクシーの群れと、バイト代金から差し入れのつもりでその方の好きな百合の花1万円分を大事に抱えながらドキドキしていた自分を、今でも鮮明に覚えている。ただただ、情熱に浮かされていた。自分のあるべき所が、コミケやイベントなんだと信じ、たとえ異質だと、犯罪者予備軍だと言われようと、ルールとマナーを守り、前に出過ぎず、この場所がずっとあるよう心がけていこう、と誓った。

上京してから、私は自分で同人誌を出したり、やや大手サークルさんの売り子をずっと続けたりと、コミケやイベントに長く関わっていくのだが。
コミケに連れてって、と心の中で叫んでいた10代の私は、今も脳内のどこかに住み続けていて、歳を経ても笑顔で思い出話を語ってくるのだ。

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