今まであった、不思議な出来事②

【注意】
この記事は、平成に起こった、某地下鉄での無差別テロ事件について触れています。
名称などあえて書きませんが、事件によりなんらかの心身の不調があり、今もつらい方には、もしかしたら当時を思い出してしまうかもしれず、おすすめできないかもしれません。ご留意ください。


この話は、親も友人にも話をしたことがある。
とある有名な事件があった日の出来事だが、はっきりとは書かない。おそらく、読んで頂ければその1日で何があったのか分かると思う。

まだ新人として働き始めた頃だった。
住んでいた寮は最寄り駅が日比谷線で、乗り換えに丸ノ内線を使い、小一時間かけて通勤していた。だいたい7時過ぎに起床し、7時半には出発、8時20分前後に事務所へ到着するスケジュールだった。
その部署は、しばしば出張があった。事務所で仕事する時間より、もしかしたら外に出ての仕事の方が多かったかもしれない。私もよく、出勤前に必要書類を持って、9時頃に当該の窓口に出向いた。

その日も、書類を発行してもらうため、鞄に荷物を詰め、自宅を出た。朝は弱い方なので、いつも早めに出発し、現地に着いてから、目的の事務所が開くまでの間に、余裕があれば、駅前のケンタなどで朝食をとっていた。そうすれば、遅刻もしないし、電車の遅れがあったとしても間に合うだろうと考えたからだ。

最寄り駅に着き、電車に乗ろうとした。いつものことだった。その時、日比谷線は普通に走っていた。なんら普段と変わりない日常だった。当たり前だ。この瞬間に、私がなにかを察知する能力などなかったのだから。
しかし私はその時、ふと、お腹がすいているので、先になにかを食べてから行こう、と改札前で回れ右をした。はじめてのことだった。理由はなく、ただ「この近くにマックがあったはずだから、コーヒーでも飲んでいこう」と思いついただけだった。

少し慌てながらマックのモーニングセットを平らげ、だいたい15分ほどだったろうか、再び私は日比谷線の改札へと向かった。遅れないように、とその一念だった。
…が、日比谷線は止まっていた。「事故による遅延です」「復旧の目処はたっていません」たしか、そんなアナウンスが流れていた。改札を通ることも許されなかった。私は駅の片隅で、電車が使えないならバスを乗り継いでいくしかないか、と少々、苛立たしく思った。ひどい遠回りになる。でも行かねばならないのだから、と急いで代替えを探した。

なんとか9時過ぎには、目的の場所に着いた。とんでもない疲労感だった。受付に持参した書類を出し、手続きをして、午前中には事務所に帰らなければ、とまた足早に所属へと向かった。

11時半には、今度はJRを利用して職場に到着した。同僚のお姉さんが、開口一番、「明良さんのお母様から、電話があったわよ」と聞いた。変だな、と首を傾げた。新潟の母が、なぜ都内の事務所に連絡をいれたのか。「明良さんは、朝から別の場所に出張です」と答えたら、安心したとのこと。余計に分からなくなった。思いつくのは日比谷線の遅延だが、こんなことを母が毎日チェックしてるとは思えなかったし、そもそもただの遅延だ。その時は、そう思っていた。だから、お姉さんと、おかしな確認だねえ、と笑って、それっきりだった。

12時になった。当時、休憩室にはテレビがあった。そして、昼休み時間に知った。朝、日比谷線と丸ノ内線・千代田線に神経ガスが撒かれるというテロがあったのだ、ということを。

驚いた。テレビの中継では、気分が悪くなったのだろう人々が、路上にたくさん寝かされていて、そこは私の所属のすぐ近くだった。通勤に使う駅でもあった。

もし、その日に早朝からの出張がなかったら、私は日比谷線から丸ノ内線を、事件のあった時間帯に乗車していた可能性が極めて高かった。そして、出張ではあったが、出かける寸前では列車が運行していたので、そこで気まぐれにマックに寄らず、乗車していたら、同じようなことになっていただろう。

直接、猛毒が撒かれた車両に乗らなかったかもしれない。しかし、遅延や運行停止で、車内に取り残されてしまっていたら、通勤ラッシュの人混みで、体調を崩していただろう。また、他の方から伺ったが、被害が軽くても、猛毒が残っているかもしれないと、コートやコンタクトレンズなどを捨てなければならなかったらしい。経済的に痛手になることもありえた。

あまりにひどい事件で、理不尽で、私は隙間を縫うようにして難を逃れたが、素直に喜んではいけないと思う。被害に苦しむ方々は、きっとまだいらっしゃる。運不運では片付けられない。
けれど、それでも私は、あの日なにか急に心変わりしてマックに入ったのは、偶然ではなかったのかもしれない、と考えることがある。たまたま、謎の勘が働いたのだろうか、と。

今、また浮き彫りにされている諸々がある。日本は決して安全とは言い難く、なにかの悪意が我が身に降り掛かってくることは他人事ではない。
私は、あの日の一連のことを時おり思い出しては、日々、できる限り用心しなければならない、と心に刻みつけている。日常は、唐突に非日常に変わり、突き落とされることがあるのだ、と。

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