私をコミケに連れてって②

10代の頃、憧れだったコミケに、就職してからは気兼ねなく行けるようになり、私はとても幸せだった。仕事がしんどくても、安月給で日々が質素でも、年に2回はボーナスを頂けたので、コミケ用のお小遣いを分けて取っておき、少しお洒落して、会場に行く日が楽しみで仕方なかった。

ここずっと同人イベントにも参加していないので、現状どうなのか分からないが、当時は、最も規模の大きいコミケが年2回とは別に、他社開催の、春の春コミ・ゴールデンウィーク時期のスパコミ・秋のスパークなど、盛大なイベントもあり、さらにやや小規模のイベントも含めると、年中、なにかしらやっていて、通いつめていた時期もある。

20代のある日、とあるジャンルで、とても好きな作品を見つけた。絵柄もストーリーも素晴らしく、感動と興奮で寝られないくらいだった。たった1冊で、すっかり作者さんに惚れ込み、イベントに行く度、新刊を買い求めた。

そして、九州に住んでいらっしゃるその方が、東京に毎回直接参加は難しいとのことで、売り子を募集していた。私は当然、浮き足立った。関東地区なら、いつでも会場に足を運ぶことができるし、実際、頻繁に参加していた。なにかお手伝いできるかもしれない。自分に出来ることもあるかもしれない。まずは申し出てみよう、と、私はあろうことか、手紙に10枚近く、どれだけあなたが好きか、あなたの作品を愛しているかを、書きなぐった。よくよく考えてみれば、非常に暑苦しい内容だったはずだ。場合によっては、ストーカーに近い不気味さすら感じた可能性もある。

しかし、その方(以後Hさんと呼ぶ)は、ぜひ東京方面売り子を宜しくお願いします、とお返事をくれ、スタッフの一員として受け入れてくださった。連絡をとり、どのような形で売り子として関わって欲しいか、報酬は新刊でいいか、交通費とお昼代は売上から差し引いての入金でかまわないか、等々、売り子初心者の私に伝えてくれた。

以後約10年、私はHさんの売り子として使ってもらった。

その頃の仕組みでは、コミケであれば、サークル参加は9時頃までに会場入りしなければならず、その時間を超えると、サークルチケットを持っていても、一般の列に並んで入場となった。住んでるところが都心から少し離れている私は、仕事の時より早く家を出て、準備をすることになった。
前日には、買いに来てる方々と現金でのやり取りになるので、おつりを作り、万札は千円札に、小銭も数千円分、用意した。本の値札も作った。会場のテーブルに敷く布・カッター・ハサミ・小型電卓・ガムテープをリュックにつめ、設営を行った。

既刊などは、あらかじめHさんが宅配便で送っていたので、はじめに会場に入ってやったことは、荷物探しだ。
たくさんの宅配の箱が、およそスペースに近いあたりに置かれていて、そのなかからどれが自分のまかされたサークルのものかをチェックする。コミケだと、受け取り時間も9時くらいだったので、慌てて取りに行き、箱を開けてから部数の確認をした。

売り子になったHさんのサークルは、新刊が800部から少なくて500部くらいだったので、そこまで売る大変さはなかったが、それでも午前中に買いに来る方々で時に列ができ、11時過ぎくらいには新刊が完売していた。もっと部数があってもいいような気がしたが、在庫問題もあるし、時おり再録集も出しておられたので、丁度いいのがそのくらいだったのだろう。

売ってる最中は、千円札が飛び交う状態だったので、スペースの長机に大きめのビニール袋をガムテープで貼り付け、札はぼんぼんそこに投げ込んだ。既刊も多く、計算が複雑になることもあって、とにかく緊張した。コミケではHさんも上京し、スペースにいらっしゃったが、お友達やファンのみなさんとの積もる話を中心に、他サークルさんへの新刊配り、差し入れなどもしていて、とにかく慌ただしかった。

私は、そんなばたばたと忙しく賑やかなコミケにワクワクしていた。売り子ではあったけど、共になにかをしている感覚があり、なによりコミケの雰囲気が心地よかったのだ。みんな楽しそうで、嬉しそうで、ああ仲間がこんなにもいるんだ、と気持ちがずっと高ぶっていた。

2時前後になると、新刊は売り切れ、客足も遠のき、Hさんと撤収の支度をした。どのイベントでも宅配便が来ていたので、箱詰めしたものを郵送できるのだが、遅くなるとすごい列ができて、重い荷物を運びながら並ぶことになる。周りのサークルさんも、そんな感じで荷造りしていた。
あとから来た方からしたら、撤収が早いと寂しい気持ちだったかもしれないが、イベントの翌日は平日で、売るものがわずかとなれば、どうしても先々を見越した行動になってしまう。おまけにトイレも行かず、お昼も食べず、ずっとスペースにいたのだ、帰りが遅くなれば体調にも響く。

ひと段落ついて、会場をあとにしたら、有難いことにHさんとご飯を一緒に食べたりした。なんだか擽ったい気持ちだった。実は、初めてHさんがらご飯をご馳走してもらった時、私は号泣した。嬉しかったのと、他者から奢られることに慣れていない緊張で、感極まってしまったのだ。

年代を経て、サークル参加も一般参加も大所帯になってしまったコミケだが、売り子をしたことも、買い物のために早朝から出かけたことも、自分のスペースで本を売ったことも、いい経験だったと思う。独特な世界かもしれないが、あの場所には夢がいっぱい詰まっていた。一部のマナーのない方もいらしたが、教えてくれる人がいないと、よく分からないだろうなあとも思った。

もう、中年になり、あの暑すぎたり寒すぎたりするコミケに行くには、体力気力がなさすぎて、足を運ばなくなってしまったが、存続している限り、もう一度でいいから、熱気にあふれる会場に行きたい。心から弾けたい。
今も私にとってのコミケは、思い出と共にある、大切な空間なのだから。

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