バイトあれこれ・その1「やまだや」

 20代のころ、人生の道に迷っていた。
 あ、いや違うか。人生の道に迷っていた20代のころ、だ。
 なぜなら、その後も、人生の道に迷っていた30代のころ、40代のころ、と続くのだから。
 ほらほら、こうして、「なんの話だったっけ?」と迷走する癖はいまもって直らない。

 先に進めよう。

 その20代のころのこと。朝日新聞のBEという週末版の付録のような紙面に、50回近く職場を変えた男性の記事が載っていた。しかも、同じ職種ではなく多種多様な現場を歩いたらしい。

 なんだか嬉しくなった。そうか、ひとつの道を精進して何かを極めるだけが人生の王道ではないのだな、と思えた。
 そしてちょっぴり不安になった。自分自身の行く末を案じてのことだ。結果、その通りになった。ただし、当時のような不安=人生の落伍者のレッテルは自ら外すことにした。

 その男性には数や職種の点で劣るが、わたしも相当いろいろな”パートタイムジョブ”に就いてきた。
 バイト遍歴をさかのぼれば、労働に対して他人から対価を最初にもらったのは、小学校4年生のときだった。

 デビューしたてのころのとんねるずは、石橋貴明が「成増」を、木梨憲武が「祖師谷大蔵」をと、生まれ育った地元ネタを披露していたことをご記憶だろうか。
 ほらほら、まただ。こうして、前後の脈絡なく他の話題が差し込まれる。読者はついていけないではないか。
 でも大丈夫、今回はそれほど長引かせず、本題に戻るので、カムウィズミー。

先に進めよう。

 その木梨がときどき口にしていた「山田やのおばちゃん」の店(祖師谷大蔵ではなく榎に店はあった)で、わたしはともだちと一緒に働いた。いや、働いた、などと大げさなものではないか。掃除した。ただそれだけのことである。

 「山田商店」は、町のよろずやで、小さな店内に、金物から日用雑貨、おもちゃや文房具など、ところ狭しと並んでいた。こどもにとっては、駄菓子屋としての印象が強い。
 1970年代のこどもにとって100円というお金は大きかった。コーラ飴は個装で一個5円。麩菓子が一本15円。あんこ玉は一個10円。なかに白玉が入っていたら「あたり」で、大きなあんこ玉がもらえる。ベビースターラーメン、よっちゃんいか、餅太郎、どれも20円以下だった。

 なかでも、わたしが好きだったのは、すももだ。真っ赤に着色されたすももが確かふたつ入っていたと思う。漬け汁を先に飲むために(超ミニサイズの豆腐容器を想像してくだされ)、四つ角の部分につま楊枝をぐさっと差し抜き、穴のあいた部分に細いストローを入れ、吸って飲んだ。そしてそのあと、ふたを破って、つま楊枝でなかのすももを刺して、カリカリと音をたてて食べる。
 あのすっぱ甘い味は、「よくあんな(からだに)悪そうなものをおいしそうに(あんたは)食べてたね」と、大人になってから、田舎育ちの母(貧しくとも自給自足していた母の幼少時代は「よい」食に恵まれていたと思う)に言われたが、確かにいま食べたら、大量消費社会にこどものうちから巻き込むために味覚破壊させようとする側の魂胆に腹を立てるという「思考」と、娘を育てるにあたって極力無添加、無農薬、旬のものを口にする習慣が身についた「身体」が悲鳴をあげるだろう。けれど、正直に告白する。当時は、中毒と言っていいほど欲していた代物であった。

 話を戻そう。

 不器用な子や小さな子はその作業が得意ではない。おそるおそるつま楊枝を刺すとなかなか突破できないし、勢いよく刺してしまうと、液が周囲にとび散って悲惨な目にあう。
 そういうときにちゃっちゃっと代わりにやってくれる山田やのおばちゃんは子らの羨望の的だった。「はい、おつり20万円」と、打ち出の小づちのように、お金が1万倍になる念力も持ち合わせ、また、まるで見て来たかのように語る昔話は、つづきをねだる子が続出し、山田やのおばちゃん会いたさに店に通う子も多かったと思う。
 「不良」と呼ばれる中学生のお兄さん、お姉さんも集まっていた。学校帰りに行き場がないのか、そこでカップラーメンを食べたりお菓子を買い散らかしたり。あるとき、そのごみを拾い、ついでに店の箒とチリ取りをかりて、一緒にいたともだちと掃除した。それをたいそうおばちゃんは喜んでくれ、お駄賃の代わりに、アラビックヤマトをくれた。
 赤いキャップの液状のそれである。家や学校の道具箱のなかには、黄色いキャップで緑のチューブ式の糊しかなく、他の子が持っているのを見てひそかに憧れていた。ああ、もうこれで指を汚さなくていい、だまになって、塗ったあとにボコボコになる不格好を嘆かなくていい。

「あしたもまたお願いね」

 そう言われて、こんどはひとりで掃除した。何をもらったかは覚えていない。そして何日続いたのかもさだかではない。それでも生まれてはじめての「労働」(して対価をもらうという経験)は、くっきり鮮明に思い出すことができる。
 いまはスティックタイブの糊を好んで使用しているが、郵便局などに置いてある液状の糊を見ると、セットで山田やのおばちゃんを思い出すのもそのためである。

 

 

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