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人気者VS人たらし

昔から、できれば人に好かれていたかった。
人から嫌われるのが怖くて怖くていつも仕方がなかったし、嫌われるくらいなら自分の気持ちを押し殺した方がよほどましだとさえ思った。

それゆえに、どれほど他人から傷つく言葉を被せられようが、馬鹿にされようが、いつも笑っていた。NOが言えない。その場では笑ってごまかし、1人になった途端涙が止まらなくなることも多々。友人からはよく、かほは優しいねと褒められた。でも私自身はそんな自分が大嫌いだった。こんなの全然「本当の優しさ」なんかじゃない。思い描く「なりたい自分」とは程遠い。

外面が良い分、家族にはよく気持ちをぶつけてしまっていた。言いたいことを他人に言えない。悔しくて家でよく泣いた。母に感情をぶつける度に言われた言葉がある。それは、

「魅力的な人=誰からも好かれる人じゃないよ」

誰に嫌われることもなく、誰からも好かれる人は魅力的だとはいえない。むしろ自分の悪いところも含め好きになってもらえる魅力をもってほしい、母はよくそう言った。

YESマンの私は、社会人になりより苦しむこととなる。社内社外問わず誰からも好印象をもたれる営業マンなんて存在するはずがない。できないことはできない、断るところは断らなければあっという間にキャパオーバー。苦しい時は苦しいとSOSを出さなければ誰も助けてなんてくれない。営業職は、嫌われてでも言うべきところは「それは違う」とはっきり伝えなければいけない判断力と意見を求められる職業だった。当たり前のようなことなのに、それが私にはかなり、いやとてつもなく難しいことだった。何かを選択する時、何かを切り捨てることは必要不可欠で、全員に良い顔なんて到底できない。きっと他の職種であっても共通する部分は大きいだろう。

人気者と人たらしは紙一重かのかもしれないな、と少し思う。人を許せるやわらかな柔軟性をもちつつも、貫く強さをもった人でありたい。いつもそう思ってはいるけれど、なかなか難しいものだ。

ただ、他人に意見を伝えることが苦手だったおかげで、よかったことが1つだけ。それは「書く」を好きになれたこと。直接伝えることができない分、暇さえあればよく自分の感情や考えをノートにまとめたものだ。(ほぼ殴り書き笑)人権作文や宿題の感想文に向き合う時間も好きで好きでたまらなかった。それだけでなく、本を「読む」ことで様々な言葉や文章、世界と出逢い、何度も心を救われてきた。言葉や文章に触れることはいつも私を安心させてくれ、気づけば気持ちを整理するために欠かせないものになっていた。それは24歳になった今も変わらない。

「書く」を好きになったきっかけは、このどうしようもない弱い自分の性格で。だから、自分を救ってくれた言葉や文章の力で、今度は自分が誰かを救いたいと思った。実はそれが「書く」を仕事にしたいと思った本当のきっかけだったりする。

いまだに人目を気にしてしまう性格は変わらないし、やっぱり人に好かれようと自分の言動を選択してしまうことが多い。きっとこれからも根本は変わらないだろうな、と思う。
それでもいつか、人気者でも人たらしでもない、ありのままの自分を心から愛せる時がくるように、まだまだ多くの場所で沢山の人と出逢い、幸福を感じ、刺激を受け、傷つき、学び、人生経験を積んでいければいいな。

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