応援するのに全肯定は必要無い
前からちょこちょこ書いてる、出版社立ち上げのプロジェクトだが、参加する人のスタンスとして、好意的ではあるものの全肯定ではないのがいい。
実現していない世界を論じているので確定された情報なんてものはない。
あらゆるものには、人の視点の数だけ異なる見え方がある。
統計データや過去に積み重ねられた知識から推測されるものはあるにしても正解なんてわからない。
好きで集まってるのは間違いないが、疑問を持つことのない人間の集団は怖い。
なんにも考えないように、精神を麻痺させて、強制される不愉快な労働に勤しむ昔の自分みたいで。
一人の人間のやる事に賛同して集まると、盲信して、何でもかんでもその人のやる事を肯定する人間が出てくる。
私はそういうのを見ると立ち去りたくなる。
今は、関わり合いになりたくない。
トラウマが戻ってくる。
コミュニティの人達は各々のスタンスで、それぞれに疑問を持っている部分がある。
それをみれるのがいい。
勿論何も言わないのも自由だ。
私は、発達特性的な部分も相まって、感情的で思い込み激しく、衝動的だ。
うーん。字面で見ると酷いな。
そんな感じなので、視野が狭すぎる事が今後生きていくうえで、大変に不便だと思っている。
他の人の視点を見れるのはありがたい。
うまく言語化出来てないな?
なんか、そんな感じである。
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