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母〜9

大学病院血液内科勤務の、激務でほとんど帰って来ない夫をあてには出来ず、
母は一人で家事や医院の手伝いをしていた。実家と言っても、実の両親ではないから、そう甘えることは出来ない。
結婚の翌年、昭和38年に、第一子に恵まれた。私である。父の勤務していた大学病院はあまり近くなかったためか、医師である養母の意見があったのか、お茶の水の東京医科歯科大学病院でお産をした。小ぶりの、おとなしめな女の子だった。産後、母は高熱を出してしまい、ろくに熱の原因の検査や治療をしてくれなかった担当医に、父は「尿路感染症〜腎盂炎じゃないのか⁉︎」と、食ってかかったらしい。指摘の通り腎盂炎を起こしていた母、その後は幸い適切な治療で軽快した。途中まで産婦人科医医志望だったという父は、いろいろなトラブルを見て来たのだろうから、それは食ってかかりもしたであろう。
荻窪の家に娘を連れ帰ってからは、祖父母、特に祖父の溺愛が始まった。祖母との間子には恵まれなかったし、そうでなくても孫はかわいいと聞くので、さぞかし愛おしい存在であったのだろう。

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