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遠回りのようで近道

私はhow to本をあえて読まないようにしています。例えば「文章の書き方」や「売れる文章の書き方」といったそういう類の本です。
 
何故読まないかといえば、「こんな方法があるのか」と感心し、本を読むのに熱中し、夜遅くまで読み、明日からやろうと思って結局やらない。やらないから、読んだ時の熱狂も忘れ、次の朝振り返ると、いいことは書いてあるのですが、昨日の感情とのギャップのせいか、そこまですごいものと思えず、結局、行動したほうがより有意義に時間を使えたと感じることが何度もあったからです。
 
知るということだけでは、他人がそのワードを口から出したとき、「それはこういうことだよね」と答えることができるだけです。あくまで、何かのきっかけがあったときに、思い出せるというレベルです。自分が何かをするときに能動的に発揮できる力ではありません。

実践で高める


知って、一定期間実践して、身に付けて本当に自分のものとなります。
語学を学習している人なら経験したことがあると思うのですが、ある程度まで語学力が高まると、相手の言っていることはすべてわかるのに、相手のようには話せない、ということがよくあります。つまり、知ることは使えることの第一歩ではありますが、ゴールではないということです。ゴールにたどり着くには、語学でいえば、自分で使ってみることが必要です。一度使うだけではだめで、何度も繰り返し使うことにより能動的な語彙になります。
 
さらに言えば、やってこそ足りないことがわかるともいえます。その分野に習熟した人がまるで予知能力があるかのように、話の先回りをする、そんな人と話したことがある人もいるでしょう。その人は業務に習熟し、膨大な数のケーススタディをこなし、こうなったらこう、と瞬時にかつ無意識に反応できるのです。

つまり、習熟の度合いによって自身の感度が変わってきます。昔1冊の本を読んだときは、何も感じなかったのに、大人になって再度読んだら、涙が出てくる、というのもその一例です。それはあなた自身が人生に以前より習熟した証拠です。

近道を行くための遠回り


決して、how to本を読んではいけない、とは言っていません。ただ、「こうやってみよう」と考えた方法で行動し、ある程度の習熟期間を確保しさえすれば、自分の感度が上がります。
感度が上がった状態で、方法論を読めば、自身に必要なことがわかり、まるで、わからない単語があったとき辞書を引くかのように本を読むことができ、吸収の度合いも向上します。
 
何かを始めた時こそ、迷いやすく、不安です。もっといい方法を探すために本を読み、ネットで調べたいと考えるのもわかります。ですが、「長い目で見たら今は我慢して、行動した後に読んだほうが最短距離だよ」という考えもあることを提示できたら、と思っています。

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