無意識に生きる

わたしは、子供時代から努力することが多かった

人と同じ様に見えるふり

人に負けないようにがんばること


劣っていないように
がんばってきた


まだ当時は
発達障害のこと、
そこまでこまかく分けられてなくて

特別学級っていうのができたくらい


自分を特別視してたつもりはないけど

もし、あの時してた
普通の人と同じように見えるための努力をしなくていいなら


わたしは堂々と
自閉症を発揮していたと思う

明るく社交的でいようとすることなく

他社は関係ない
興味ないことには関わらない

自分は自分。
みたいのが強すぎたと思う

部活でチームプレーなんかもってのほか


少ないクラスだったけど
誰とも特定のこと一緒にいないで1人でいたんかもしれん


輪に入るのは疲れたし
合わせるのがだるかった

でも浮いて見えるはいやだったから
うまくやってるように見えるようにやった

どこまで自分を出していいかわからず
でも、出したらいけない自分がいる感覚や

もっと自分らしくいたい葛藤があった

それは、ただの思春期だったのもあるし

発達障害もあったと思う


大人になってからも続いた

自分の苦手なところを
苦手と悟られないように
頑張りすぎるところ

弱みを見せないようにするところ

まわりを敵だと思ってるとこ


信頼関係なんかきずけないから
いつもやめたかった 
どこにも居場所がなかった


いつも浮いてるんだけど
浮かないようにもするために努力もしていて

なんかいつも頑張ってた


ほんで子供生まれてから
改めて検査した


広汎性発達障害だって


診断名にとまどった


いやいや、わざわざ、そんな名前つけんでも

いちをやれてるし 


と言いたいところだけど、
やれてない


職場の人間関係がとにかく苦手

そもそも人と関わりたくないのに
一緒に仕事でいい関係なんか築けない

好きなようにさせてよ

やりたいことやらせてよって感じ


仕事が何かとか
社会生活とかまっく何かわからんストレスと
ただそういう自分ではうまくやっていけない世の中なのはわかった


30代過ぎると
色々職歴もやばくて
何回履歴書書いたことか

仕事は好きだし
ってか働くことは好きだし
うまくやっていければいいのに

いつも人間関係につまづく

苦手な人がいたらもう、うまく振る舞えないし
そのストレスに負ける

続かない

どう頑張ってもやっていけない

私の力では社会を生き抜くことができないと思った


結婚して、パートに収まること
専業主婦におさまることで
救われた

私は私の力で社会の中に生きていこうとしなくても
なんかちょっと守られてる


その範囲の中で
自分のやりたいことをやれば良くなった

自営業という形で
自分のペースで仕事ができる

仕事というほどのものでもない


仕事というほどの覚悟はない

わたしは、それでもなくても
生きていくことに精一杯だから
仕事に何かをかけるような生きた方はできない


仕事をするために
わたしはたくさんのことを気をつける

ADHDらしさや、
ASDっぽさが出ないように気をつける


できるだけハキハキとしゃべるし
日程はできるだけ細かくメモをするし、
電話で押さえておく

できるだけ心が落ち着くように
裏で深呼吸したり、合間でお茶を飲んだり

話が弾むように会話に気をつけながら話をする


毎日すごくたくさんのことを頑張ってる

毎日すごくたくさん気をつけて生きてる



だから、わたしは意識的に
自分を動かすことで
毎日をやり過ごすし、そんな中で緊張状態であんまり呼吸もできてない

仕方ないと思えば仕方ないんだけど


わたしの理想は違う


わたしは自然体でいたい

広汎性発達障害で、
凡ミスも笑って、そのままのキャラで

人に興味ないとかも
そーゆう人だよね

って呆れられるくらいでちょうどいいのかもしれない


興味あるフリ
優しいふり
真面目で、気遣い屋の自分は

疲れる


気を使わない
興味ない
優しくない
どーでもいい
適当


ぜんぶ意識せんかったらそうなる


それでいいことにする

それじゃだめだと言ってくる人から離れる

その程度だったいうこと


もうなんも意識せんでいいよ



わたしは私

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