未来の自分は今日の自分が作る

久しぶりに前向きなこと

というか、めったにない前向きな感覚


未来の自分のために
今の自分がうれしいことをする
喜ばせる

楽しく過ごす

そしたら未来が心地よくなるらしいよ

寝る前に読んでた漫画から


刺さった


前向きに考えることに
抑うつ感とか、葛藤がまったくない


すごく心に負担のない感覚で
自然に心が喜ぶことをしたいと思った


旦那に対する信頼感
どこまでも甘えてみよう

たまに、できそうなときは思いやる

ありがとうとか、ごめんねとかは言う。

でも無理しない


障害は、
生きていくときに支障が出なければ
しょうがいにならないんじゃないかと思う


私が持ってる特性の一つとしての

自閉症傾向、ASD,ADHD傾向でしかない

そういう個性の一つでしかない


それを個性として自分が認めてあげたら

それをうまくやろうとしなくても
そのままの私でいられる

わがままで、
好き勝手で

自由だったとしても

人に興味が持てなかったとしても

一人でいたい時間が多かったとしても


自分がそれでいいと思えば、それでいいらしい。


社会不適合でもいい

個性があっていい

特性があってもいい


うまくできなくていい



それが私だと思った。


うまくやろうとすることをやめたら、
っていうか、自分が幸せだと思えたらそれでいいらしい

犯罪とか、人を傷つけたり嫌な思いさえしなかったら

自分らしく、自由でいていいのかもしれない


失敗も、ダメなところも
全部
これが私だって開き直ったら

なんにも、心配することも不安になることも
人からの反応を気にすることもなくなる


考えすぎたり、落ち込むことがなくなる
楽に生きる

何かをしなきゃいけないことなんてない


ちゃんと、子供を育てようとか
ちゃんと、親としてやることをやるとか

人として、とか

そういうのどうでもいいなって思う


生きることに対する責任感みたいなもの?
自分に対する責任感?
人に対する責任感?

色々感じすぎたんだな


仕事はさ、責任があるし
お金が発生するし、信頼関係がいるから
ちゃんとするんだけど


それ以外のことって
ちゃんと、まじめにってしんどくなるな


した方がいいこともあるんだろうけど、
絶対しないといけないじゃない

長い人生のどっかでどうなるかわからん

その時の自分がそうしたかったんだし
そうなったんだから
仕方ないことがいっぱいあるんだろうな


だから、それ以上考えてもどうしようもない


あの時こうしておけばとか、
自分のせいだとか

反省して
自分を追い込むことは

自分を傷つけることと同じだ




過去のこと
人づきあいがうまくできなかった幼少期から、思春期、そんで大人になってからも

とくに小学生時代に傷つけたり、まわりをふりまわしたこと、迷惑かけたことずっと心に刻まれれた

自分の特性が自分も周りも理解できなくて

すごく困らせたこと
嫌がられたこと
迷惑をかけたこと

そのことがずっと引っかかってきた


罪悪感を持っている


無知だった

自分も傷ついてるから、人も傷つけていいと思ってた

周りの人ばかり両親がいて、うらやましかった


わたしだけ、どっちもいなくて不幸だし

不公平だし

ずるいと思った


人を傷つけたらいけない、嫌がることをしたらいけない

そういう当たり前のことを知らずに育った


そういうときのことをずっと後悔してる

だから申し訳ない気持ちがあったし
そういう自分を何とかしなきゃいけないと思った

自分がとても悪い人間に思えた
こんな自分ではいけないと、
自分を否定してきた


肯定できない理由があった


こんな自分でいないために、
自分のダメなところをどうにかするために

迷惑をかけないために
不快にさせないために

傷つけないために

どうしたらいいかを考えに考えた


自分でいないようにするために

我慢していたことがいっぱいある


そのことが自分を抑制していて

ありのままでいることを認められなかった

ありのままでいることイコール子供時代の無邪気な自分はいけないと
認識してきた



そんなことないよ
誰も言ってくれなかったけど

傷つけたこと
周りを振り回したこと
悪かったと思ってる

(悪かった、だけで済む問題なのかは不明だ)

その行為に関してはだめだったけど
私自身が悪い人間というわけではない


私もいっぱい努力した
というのが、言い訳に聞こえる


私が否定する私は
私の特性の一つでそのときの自分にはどうすることができなかった


周りの子に与えた影響はでかいのかもしれない


ちょうど、
むすめの保育園の子で
乱暴な言葉を使ったり、ほかの子に意地悪をするのと同じように

その子自身は
そうとしかできなかったんだと思う

それが、決していいことではなく
その子自身は、そうすることでしか発散できない何かや訴えたい何かがあったんかなと思う

自分と同じだ


その時の自分を称賛するわけではない
その時の自分に対しては疑問もある

否定しない

世の中には、そういう風に理解してくれる人がいるってこと

おそらく、私の同級生も
他の誰より私の特性を理解して付き合ってくれてたんだと思う

大人になってからも遊んだり、連絡を取ってくれていたのは
ただ少ない同級生だからだけではないんだと思う

しかたなしだったのかはわからないけど


一緒に話をしたこと、過ごす中で
ただ嫌いなだけの人には会わないと思う


私の扱いが難しかったのは事実で困らせることがあったんだと思う

だけど、そのことで自分が反省するばかりで楽しい時間を見逃していることもあった


楽しめなかったのは私だ

もしかしたらいい関係が築けることもあったのかもしれない


特性を持っていても
人といい関係を築けるのかもしれない



私、自己中だから
人の気持ちを考えられないところがあるから
すぐ怒るところがあるから

すねたり、ふてることがある

(今はさすがに人前で出さない)

約束を守れないことがある
朝起きれなかったり、連絡しないときがある


それで、離れていく人の方が多いかもしれない
周りも迷惑してる

近づかない

仕方なしかもしれない


だけど、世の中にはそれもキャラクターとして受け入れられていることもある


それがキャラクターとして許されるのは、ただの偶然ではなくて
その人が信頼関係をきずけていたら、相手もそういう人だとわかっていたら、お互いにそうだったら

許してもらえるんだったら、
そのことに悩む必要はない

たくさん迷惑をかけるかもしれない


いつか本当に嫌われるのかもしれない


私は、そうなる前に関わることから逃げていた
そうなるのが怖くて
そういう自分が嫌で

人に向き合えなかった
人のやさしさより、楽しさより
嫌なところばかり探していた


人を好きになることより、
嫌なところを見つけて嫌ったり、そういう部分を同情したり、関わらないようにすることで

自分を守ってきた


これ以上人を傷つきたくなかった
そんな自分が嫌で
こんな自分で人とかかわるのが嫌で
きっと人も自分とかかわるのが嫌だろうなと思ってた


距離をとってきた


最近一歩を踏み込んだ

そうだ、

忘れられなかったひとの時のように


これが自分だ。
これでだめなら、仕方ないって
自分をさらけ出した時と同じように今
旦那にも、
家族にも、

友達だと思う人にも

そうしてみてる


私って、こんなひとだよーって

さらけ出そうとしてる

それって、すごい前向きなこと

こんな私

私のこと、好きだって人、私といて楽しいと思ってくれてた人

いた?


私はわたしでいていいし


人を困らせること、痛めつけること、罪を犯すこと以外だったら
信頼関係の中で、
わたしでいられるし、私でいていいんだと思う


仕事の日、いきなり休みますとは言わない
嫌いな人を無視したりしない

自分の都合で好きなことばかりしない


わたしは、発達未完成のまま大人になったと思った
今も子供なんだと思った
社会でやっていけないと思った
不適合で、友達いなくて、孤立して生きていくんだと思った

まだ未完成だし、
欲求はこどものようなままだけど、
社会でやっていけるし
少しずつ適合することができる

どうやったらいいかが、少しずつ分かる

できないことをできないと言ったり、

人にお願いしたり、

気持ちを伝えることで


築ける信頼関係があるらしい


おそらく、友達も作れるし(多分いる)孤立までしなくても、程よい距離感で生きていけるんだと思う

努力で補う部分もある
生まれ持った感性もある


全部が全部ありのままじゃなくても
出せるところで出せれば、
わたしは孤立しないし、だれかと信頼関係は築ける

わたしが、自分から誰かを信頼することができれば


わたしが、人を受け入れるように
私を受け入れてくれる人が、この世のどこかにいると
なぜか、急にそう思えた


そのことは、自分を肯定することにつながった


だから、私はもう大丈夫なんだと思う


長かった発達障害も
障害じゃなくなるんだと思う


どうにもならず、苦しい人もいる
特性として、自分も周りも受け入れられる世の中になったら
障害じゃなくなるんだと思う


個性に変わる
全部がそうかは、わからないけど。



私は、私のしたいように生きていい
私の人生は、私が決めていい

生き方に、責任を感じなくていい

自分の人格を、責めなくていい

あとは、過去の私が、今も人を傷つけていないかどうか

過去は都合よくリセットできない

そのことだけは、引っかかる

本当は、私はわたしとして好きなところにいていいんだけど
もし、そういう自分がいなくなることで救われる人がいるなら

それは、その人にとっての本当の救いになれないかもしれないけれど
出ることも選択のひとつとしておいた方がいいのかもしれないと頭をよぎった



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