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ニーチェ『悲劇の誕生』訳と読解 #1

なんかすぐに挫折しそうな企画だけど、ニーチェの『悲劇の誕生』に自分で訳をつけて、どんな話をしているのかを解釈する企画を始めます。頻度としては、だいたい週に2回くらい、原文で2ページ分くらいを目安にしてみようかと思います。(写真はだいたい関係ないものを時々貼ったりします。今回は2年前くらいに撮った桜の写真です。)

形式的な話


参照するのは以下のもの
ドイツ語原文:決定版と言われるグロイター版学生向け批判的全集(KSA=“Kritische Studienausgabe“, Nietzsche, Sämtliche Werke, Hge. Colli, G. und Montinari, M. W. de Gruyter, 1980.)
ちなみにニーチェの書いたものは↓のサイトで全部見れます。上記の決定版全集をweb化したものです。

日本語訳:白水社『ニーチェ全集』第Ⅰ期第1巻(浅井真男訳)、ちくま学芸文庫『ニーチェ全集』第2巻(塩屋竹男訳)
二次文献は特に限らないけど、上記のニーチェ全集と同じグロイター社の注釈書NK = "Historischer und kritischer Kommentar zu Friedrich Nietzsches Werken," herausgegeben von der Heidelberger Akademie der Wissenschaften, de Gruyter.を時々参照することになると思います(『悲劇の誕生』の議論は1.1でやられているのでNK1.1と書いたりします。)。

ドイツ語原文ではゲシュペルト(離し書き)という強調があります。一つの単語の一文字一文字の間にスペースを入れる書き方です。今回扱う箇所の最初の部分では例えば
die Duplicität des A p o l l i n i s c h e n und des D i o n y s i s c h e n
という箇所があって、Apollinishen(アポロン的なもの)とDionysischen(ディオニュソス的なもの)がゲシュペルトになっています。これは訳文では太字にしています。

目標


目標としては、「悲劇の死」の時にギリシアの普通の人たちに何が起こったのかをニーチェがどう考えているのかを理解することです。アポロン的なものとディオニュソス的なものの奇跡的な融合によってアッティカ悲劇という素晴らしい芸術が生まれたが、ソクラテスやエウリピデスが知性によって理解可能であることを最高の価値として主張して、わかりやすい悲劇を作ってしまったことによって悲劇の精神が失われたとニーチェは言っています。でも、たんに悲劇作家が新しいタイプの悲劇を作っただけではそれまでの悲劇は死ぬことにはならないだろう。エウリピデス的な悲劇が一般的にウケることが必要になります。実際にエウリピデスがウケたということなので、聴衆であるギリシア民族の趣味にも何らかの変化があったとニーチェは考えているのではないか。翻訳で一通り読んだだけではこの辺のことがちゃんと書いていないように思われたので今回ドイツ語で読みながら考えたいと思っています。

なお、僕はドイツ語はかなり苦手なので、誤訳や読みにくいところが多くあると思うので、そこはご容赦いただきたい(どちらかというとペースメーカーとして投稿しようと思っているので、読まれることをあまり想定していないのだけど)。

ともかく、第一回は第一節の第一段落のみ。ちょっと前の部分が長くなったし、内容も盛りだくさんなのでね。

訳と解釈:第一節

第一段落

芸術の継続的な発展がアポロン的なものディオニュソス的なものの二重性に条件づけられていること、これは絶え間なき闘争と周期的にのみ起こる和解のもとにある男女両性の二元性に〔生殖によって生み出される〕世代が依存しているのと似たようなことであるが、我々がこのことの論理的な洞察のみではなく直観の直接的な確実性へと至るのであれば、我々が美学のために多くのことを得たこととなるだろう。

  • 大きな方針として、芸術の発展の条件を論理的な洞察としてのみならず、直観の直接的な確実性unmittelbare Sicherheit der Anschauungに至るまで観察することが述べられています。そうするのは美学的な認識を発展させるためであるらしい。

    • 論理的なものというのは、ソクラテス的な思考によって導入されたものであり、それ以前の芸術を観察するには、論理以前に通用していた認識を持ってしなくてはいけないということが言われています。論理的な眼で芸術を見ても、それがうまくいくのはソクラテス(エウリピデス)以降の芸術に対してでしょう。今後ギリシア悲劇に関して述べられることが芸術の観察方法、つまりこの『悲劇の誕生』という本で芸術をどのよう考察するのかという、いわばメタ的なレベルにも波及しているということでしょう。

我々はこれらの神の名前をギリシア人たちから借り受けるのであるが、彼らは自らの芸術直観の深い意味を持った奥義を確かに概念において認取可能にはしなかったがしかし、彼らの神々の世界の強烈に明瞭な形態Gestaltにおいて理解ある者に対して認取可能にしたのである。

  • そして、その直観の直接的な確実性を認識するということは、芸術においてアポロン的なものとディオニュソス的なものも関係を見出すということらしい。というのもギリシア人が「芸術直観の奥義を彼らの神々の世界の強烈に明瞭な形態において理解ある者」に明らかにしたからです。神々の世界を理解することが、ギリシアの芸術観を理解する資格になっていると言われています。このような理解の仕方が「概念において認取可能」にするものではないと言われているのもポイントですね。先ほどの論理か論理以前かという話の裏付けになると思います。

我々の以下の認識はアポロンとディオニュソスという彼らの両芸術神に結びついている。その認識とは、ギリシア世界において、造形家の芸術すなわちアポロン的芸術と、ディオニュソス的芸術としての音楽という非造形的な芸術の、その起源や目標についての恐るべき対立が存在するという認識である。

  • ※本当はここは文の切れ目ではないのですが、便宜的に切ります。

  • 次に、アポロンとディオニュソスによって象徴されている芸術の特徴がどういうものなのかが述べられます。本当はギリシア神話の本に当たって両神がどういうものなのかを紹介すべきなのですが、それは後ほどにさせてください。ここではアポロンが造形的な芸術の神(具体的には彫刻とか絵画とか)、ディオニュソスが非造形的な芸術(具体的には音楽と言われてますね)ということを額面通り受け取っておきましょう。多分しばらくはこの程度の理解でいいのではと思っています(本当か?)。

あまりに異なった衝動が併存するわけだが、たいていそれは互いの公然とした相剋のうちでのことであり、相互により新しく力強い胎児を生み出すべく刺激し合いながら、その胎児のうちに、「芸術」という共通の言葉が表面上だけ橋渡しするところのかの対立の戦いを持続させることになるのである。〔この戦いは〕両者がついに、ギリシア的「意志」の形而上学的な奇跡行為を通して互いに一組のものと見えるようになるまで続くのであり、この対の中で結局はアッティカ悲劇というディオニュソス的であると同じようにアポロン的である芸術作品を生み出すまで続くのである。

  • アポロン的なものとディオニュソス的なものは深刻に対立していて、互いに相手を乗り越えようとしています。先にアポロン的なものとディオニュソス的なものが男女に例えられていましたが、ここでも両者の戦いが子を産むための刺激(性交?)と言われていて、生まれる子供に両者の対立が刻印されていくようです。

  • 対立しつつも、周期的に和合することによって創造性を発揮するというモティーフがあります。ニーチェはこの『悲劇の誕生』という本の初版を1872年に出して、その後に1886年に出版社を変えて再版しています。今回は訳をサボったのですが、その再版の際に「自己批判の試み」という序文をつけています(初版の時にはワーグナーに捧げた序文があって、当時のワーグナー大好きニーチェが出てきています)。そこでこの本には弁証法的な匂いが残っている的なことが書かれています。この箇所での対立と発展というモティーフはその自己批判に当たるものだと思います。

  • この対立と和合の終着点はアッティカ悲劇というギリシア悲劇の一部門になります。その際に「ギリシア的『意志』の形而上学的な奇跡行為」を経る必要があります。これが何なのかはここではわかりませんし、僕が一から解説できるようなものでもないので、今後の課題にしておきましょう。

  • ニーチェは晩年に至るまで自分を「ディオニュソスの弟子」などと言います。ニーチェの思想においてディオニュソスが重要なのは確かなのですが、それだけで最高の悲劇ができるのではありません。ディオニュソスだけをプッシュする説明も巷にあるそうですが、少なくとも『悲劇の誕生』ではアポロンとディオニュソスの対立の残存と和合が大事になっています。

第一回はここまでにしたいと思います。お疲れ様でした。お付き合いただきありがとうございます。

次回は今週中(4/8まで)にあげられたらいいなと思います。また、不備とかは見つけ次第直します。

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