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わからないことからのはじまり〜思春期娘と更年期母〜

察したつもりで関わるのは、危うい。 

2週間に一度通っているカウンセリング。心理士からの言葉だ。

思春期ピーク.不登校の娘と、あるやり取りで関係が悪化し、言葉をほぼ交わさない日々が続いていた。ちょうど、というのもなんだが私自身喉の不調で発声がままならなかったので会話がない状態をなんとなく仕方ないかと思いながら過ごしていた。

しかし、だ。
同じ屋根の下、夫私娘の三人家族。夫とは会話するがあからさまに私との会話は避けているのが如実に態度で判る。その状態を続けていくのはさすがにストレスだった。

どうするか?

娘とのやりとりから、この点が怒りのポイントになったのだろうと思われることはあった。詳細は内容面的にここでは明らかにできないが。。
それで怒るか?と私から捉えると理不尽な事柄だったが、仕方ない。
謝っておくか。。
まさに「謝る」という事実をまずはつくる、という意識で
この前は、ゴメンネ

と、伝えた。
それに対し、まだ怒りが収まらない娘の態度が返ってきた。

…………………….はあ?…………………….

私の怒りは高くなった。
しかし、考えてみれば当然だ。心からゴメンネとは思ってない私からの「繕いの謝罪」。そこには、取り敢えずという免罪符的な思いがあった。娘に、すっかりしっかり見透かされてしまっている、、、。

なんでわかってくれないのだろう?

娘との意見の相違について。
私には、少なくともそのような思いがあったようだ。
おそらくこう思っているだろう。とか、
私ならこの状況でこんな思いになるなー、など
所謂「察して」、娘に関わってきた。

娘からすると、分かってもないくせにわかっふりして関わってくることが嫌で仕方なかったらしい。←後から聞いた夫談。
分かったふりの偽善な受け止めでいて、最後には怒る。つまり、本当はなんにもわかってないのが噴き出してくる。 
それがまた、たまらなく嫌である。
という言い分らしい。

ふむ。

悔しいけれど、なるほど!なのだ。
思わず、膝をうってしまいそうになる。
いやいや、感心している場合か。

そこで、冒頭のカウンセラーの言葉につながっていく。

コミュニケーションにおける何らかの工夫があるといいですね。

はあ、、、、?

アサーション言葉編。前も一度アサーションについては話しましたが、今回は言葉について少しだけ。

と言って、カウンセラーからさまざまなコメントをいただいた。

詳細は省くが、今回私がふーむ!と納得したのは、

コミュニケーションにおいて、相手のことは分からないという前提にたつこと。わからないときは、想像や憶測ではなく、確認して理解を深めていくこと。

という点だった。

な、な、なるほど。

私は、こういう気持ちだろうなあー。
あー、なんかわかるよ。

などと、直ぐに思ってしまったり言語化してしまうことがある。そのことは、共感という言葉に安易に置き換えてしまいがちでもある。
それは、
私というフイルターを通した わかるよー
であり、私と異なるあなたという立ち位置に立ててない。もっというと、私と異なるあなたを理解しようという位置に立てていなかったのでは?ということに思いが至る。

わかってほしいが、そんなに簡単に分かるわけないだろ。

私の中にもそんな気持ちがあることにも、よくよく考えれば気がつく。

アサーション的な関わり、修行中の更年期。
あれこれあった5月は、とりあえずバイバイした。

今日から6月。
いい月になるといいなー。



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