人生100年てめちゃくちゃ長いよね

こんにちは、こんばんは
初めまして。私は関西のとある医療施設で働く独身女性です。

この場所では主に自分の頭の中の整理や自己分析のために
自分の人生の振り返りなどを行っていこうと思っています。

ここには特に有意義な情報や素敵な一文などはありませんので、
悪しからず。

さて早速私の30年と少しの人生を振り返ります。
(個人が特定できるような情報はぼかしています)

幼少期
4つ上の兄がおります。内向的でマイペースな私と
社交的で気性の荒い兄は全く気が合わず、毎日泣かされてばかりでした。
幼稚園は伸び伸びとした方針の園でした。
野生児だらけで、お散歩の時にはリアル道草(本当に草を食べたり)するような
子供がいる園でした。当時から私は身長が高く、髪も短かったため男の子に間違われました。兄のお下がりを着ていたからというのもあったかもしれません。
父もまた気性が荒かったので
彼の機嫌が一家の1日を左右する日々はこの頃からすでに始まっていたように思います。
どこへいっっても声が大きく、他人を見下した態度を取る父が
とても苦手でした。
母は家庭的というほどまめなタイプではありませんが、
思いやり深い人間でしたので、私の性格を良く理解し、寄り添った
育て方をしてくれていました。
母方の祖母は離婚していましたが、手に職があったためか
生活にも余裕があり、知的で優しい人でした。
父方の親族は、父から知的さを引いたようなガサツな人間が
多かったのでとても苦手でした。年末年始は男だけが寝るまで酒を飲み
女は座る暇もないのが当たり前、という田舎でしたので
それもまた苦手意識を植え付けたのだと思います。

実はこの頃父は精神的にかなりおかしくなっており、
一度飛び降りもやっていたようです(成人してから聞かされた事実)
物心ついた時からおかしかったので、精神疾患という概念もない私は
元から気性が荒い人間なのだと思っていました。

小学生
優しい保育士さんに伸び伸び見守ってもらっていた幼稚園を卒業し、
晴れて小学校に入学した私を待っていたのは
スクールカーストと苦手すぎる集団生活でした。
小学生のスクールカーストは
スポーツができる子、面白い子、可愛い子、かっこいい子が
上位に君臨し、どれにも当てはまらない私はこの時点でつまづいてしまいました。
毎日毎日狂ったように
わずかな時間でもドッヂボールをしたがる同級生のことを
全く理解できず、昼休みは寝てるか、本を読んでるか、自由帳に絵を描いているか
だったと思います。学校には給食を食べに行っているようなものでした。
この頃から男子がとても苦手になっていきます。
鈍臭い私をドッヂボールで集中砲火するもの、それを笑うもの、
容姿をから買うもの、それを笑うもの
次第に心安らげる場所を無くした私は保健室登校をするようになります。
恐らく楽しかった思い出もあったと思うのですが、
それよりも揶揄われているときの、体の強張りや、居心地の悪さの方が
記憶に残ってしまっています。

高学年に上がると家庭もぶっ壊れていきます。
父の気性の荒さが増してきていました。
食卓をひっくり返す回数が増えました。
母が忙しい中作った食事は床に散らばり、皿は割れ、
本人はそのまま寝てしまうので、母と一緒にそれを片付けました。
いつも虚しい気持ちでした。
兄を部屋の角で延々と殴りつける回数が増えました。父が機嫌の悪いの察知すると、母が私に目配せをし、
私は兄を怒鳴りつける声を聞きながら嵐が過ぎるのを待つように
違う部屋で心を無にして座っていました。
今でも男性の怒鳴り声を聞くと一瞬頭が凍りつくような感覚がします。

彼は完全にアルコール依存症になっていました。

仕事に行かず家にいるようになりました。
虚で黄色い目をした父がベランダに腰掛けている姿をよく覚えています。
私の貯金通帳を握りしめ、酒を買いに行こうとする彼と
涙目の母が怒鳴り合いになったこともありました。

限界を感じた母は父を精神病院に入院させました。
そのタイミングで私たちは母の家に転がり込むことになりました。
ようやく落ち着いて食事ができるようになりました。

ここで小学生編は終わりです。
次回は中学生編!お楽しみに。

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