高校時代ぼっちだったけど、大学で自分らしくなれたよって話

みなさんこんにちは。お元気ですか。
私は書いている時点では夏風邪をひきました。

今日は私の高校時代について話そうと思います。
というのも、他の方の投稿記事を読んでいて、高校時代について語っているところを見たとき、「そういえば自分の高校時代は……」と回顧を始めたことがきっかけです。
元ぼっちの方、現ぼっちの方、共感しながら読んでいただけると嬉しいです。

高校入学当初は、新しい生活にとてもワクワクしていました。
一般受験を経て入った志望校だったので、これからどんなことが起きるのだろう、どんな授業があるのだろうと期待していました。
ちなみに、私がこの高校を志望した理由の一つに、「文芸部」があったから、というのもあります。
もし、文芸部が嫌になっていたら、こうして大好きであるはずの「文章を書くこと」も、嫌になっていたかもしれません。
とにかく。その高校で、中学から一緒の子は数人いました。ただ、あまり喋ったことのない子でした。
実質新たな環境で、私は青春に向けてスタートを切りました。

高校一年生までは、あまりぼっちじゃなかったはずです。
……いや、ぼっちだったかな?
結論から言うと、どうやら私はスタートダッシュを誤ってしまったそうです。
私は、自分から話しかけることが苦手でした。なんなら、今もそうです。なんて話しかけようか、どんな言葉を使おうか、ずっと考えていました。
「あの子のキーホルダー、知ってる! でも、なんて言おう。かわいいね~とか? いや、まずは『ねぇねぇ』か……『ねぇねぇ、それってさ……』」
頭の中にシナリオはあります。こう返されたらこう言おうと、未来の分まで用意しています。
しかし、そのシナリオが読まれることはありませんでした。
考えているうちにその子は移動してしまうし、なにより勇気が出ず、話しかけることもできない。
ま、まあ次の機会があるよね、と私は逃げ続けていました。
そうして誰にも話しかけることのできないまま、クラスでは既にグループができていました。
このグループで私は大いに苦しむことになります。
まあ、ありきたりな話なのかもしれませんが……。

昼食の時間は一人でした。
机をくっつけてお喋りする人たちをよそに、一人机を動かさず、さっさとお弁当を食べていました。
お弁当を食べた後は、宿題を細々とこなしていました。のちの受験期だと通用しやすくなりましたが。あとは、スマホで音を消してユーチューブを見ていました。
実は、私にとってお昼よりも辛い時間がありました。
それは、体育の授業です。
スマホを持ち込めないので、ひたすらに立っておくことしかできないのです。
着替えて校庭に集合して、先生が来るまでの間、みんなグループに分かれて話している。私は、早く先生来てと願っていました。
端から見れば、あいつ何やってんだろうみたいな状態だったかもしれません。
かつ、私は運動神経が悪い方で、体育の時間では活躍できない側でした。
ここだけの話、チーム戦ではいかに自分にパスが回らないかを考えていました。
ボールという責任がきたとき、誰にパスをしていいのか分からなかった。
どうするべきか分かり切っている場面で、別の行動をしてしまって、周りからどんな目で見られるか怖かった。
ぼっちには厳しい環境でした。
もちろん、あるあるの「ペアを組んでー」で困ったこともありました。
優しい子と組んで、話しかけてくれても、あまり親しくはないので私は笑って相槌を打つことしかできませんでした。

そして、私のぼっち歴の中で一二を争う出来事――行事があります。
それは、球技大会です。
試合に出ているときではありません。観戦中のことです。
一緒に観戦できる人がいないんです。並んで座るのも申し訳ない。
今思えば、それでも体育館の壁側に座っておくべきだったのかもしれませんが。
その日は特別に体育館の二階席(といっても照明器具しかない、ほぼ細い通路です)が解放されており、自由に昇ることができたのです。
私は、二階席に行ってみたくてたまりませんでした。
しかし、共に行ってくれる子がいない。仕方なく、私は一人で上がりました。
球技大会の前半では、みんな盛り上がって二階席にいたのに、後半は誰も上がらず、二階席は人ひとりいませんでした。そんな中、私は一人で二階席をふらふらと歩きました。
かなり奇怪な光景だったと思います。一人でなにやってんだ、友達いないのか、と思われていたでしょう。か、あるいは、誰も目もくれていなかった。
スポーツをやっているときは、形でもチーム、同じコート内に入れるので、ぼっちは露呈しなかった。
本当に恐ろしいのは、コートの外にいるときなんですよね。

高校回顧録の最後として、卒業のときの話をしましょう。
ある意味、ここで過去を清算させていただきます。
卒業アルバムの最後のページ、みんなからメッセージをもらう欄。
そこには、部活が一緒だった子と、その子の親友(クラスは同じ)と、担任の先生からのメッセージしかありません。
始めに担任の先生からいただいたとき、真っ白なページを見て先生がおっしゃいました。
「全然ないじゃん。もらわないの?」
「これからです!」
いや、私だって、メッセージがほしかった。
でも、話しかけることのできたのは、この二人の友達だけでした。担任の先生しかないメッセージ欄に若干引いたかもしれません。
二人とも、こんなぼっちにメッセージをくれてありがとう!!
ちなみに、私は誰の卒業アルバムにもメッセージを残せませんでした。

そうそう、部活には所属していました。
先程言った文芸部と、吹奏楽部です。吹奏楽部は、中学から続けました。転部ではなく、兼部です。
それぞれに友達はいましたし、お喋りもいっぱいしました。
それでは、なぜぼっちなのか?
それは私には「友達がいない」のではなく、「いつメン」がいなかったのです。
いつメン、いつも一緒にいるメンバー。これが、クラスでできるグループでもあります。
広く誰とでも話せる分、いつメンがいなく、孤立していました。
もう高校は卒業しましたが、今でもどの高校あるいは学校で、グループというものはできていると思います。
ぼっちは目立つことが嫌なのです。ぼっちだと思われることが苦痛なんです。
グループができやすい学校では、どうしてもぼっちが生まれてしまうのかもしれません。
そうではなく、みんなが仲良く関わり合えたら、と思います。
グループの絆を深めることももちろん大切なのですが、ときには緩めることも必要だと思います。
枠組みを作らない環境が、もっと今の学校には必要ではないでしょうか。
仲良しグループを考慮したチーム分けは、なるべく行わないでほしいです。

……と、話が大きくなってしまいましたが。
タイトルにもある通り、これは単に私の高校時代の黒歴史を晒すのではなく、希望を見せることが目的です。
私の、大学の話をします。

受験期を乗り越え、私は自分が行きたかった方面の大学へ入ることができました。
私は、高校入学前と同じようにワクワクしていました。
まあ、高校でぼっちになった時点で、早く卒業したいなとは思っていたのですが。
大学では、友達、もとい、いつメンがほしいと強く思いました。
ところが、残念ながら人の性格は簡単に変わるものではありません。
私は入学しても、人に話しかけることができませんでした。
自分が好きなキャラクターのクリアファイルを持っている。なんて話しかけよう。そのキャラクターかわいいよね。そうだ、それの映画見た? 私、感動で泣いちゃったんだけど……。
と、頭の中で考えただけです。
何回も同じことをくり返しました。早速ラインを交換している人たちを見て、焦りました。次第に、自分が何を好きなのかも分からなくなりました。話しかけても、向こうの方が詳しかったらどうしよう。会話、続けられるかな。
とにかく、私は精一杯でした。行動できないのに、心の中は焦りと恐怖でごちゃごちゃしていました。
そんな時、ある一人の子が私に話しかけてくれたんです。
授業前、私が早めに教室に来てしまって、中に人がまだいるなか、ドアの前でどうするか迷っている時でした。
全くの初対面でしたが、その子は「この後この教室?」と聞いてくれました。
私たちは、人が教室に集まってくるまで話しました。最初から何か趣味を話したのではなく、どの辺住んでるの?とか、部活何やってたの?とか、一般的な雑談でした。そして、確かその後一緒に授業を受けたような気がします。
この子は今、大切な友達になっています。
不思議なことに、趣味はほとんど合いません。その子はファッションやメイクが好きですが、私は全く触れてこなかったので、何を聞いても分かりません。逆に、私がゲームの話をしても、その子は最新のゲーム機を持っていないのでプレイができないです。
でも、あの時からずっと仲良くさせてもらっています。
これは、その子が話しかけてくれたのであって、話しかけていない私は結局成長していないのかもしれません。
しかし、この時から、私は「自分らしく」いられるようになりました。
元々、大学が同じ志を持つ者が集まる場所。
そして、意外にも大学では一人行動をしている人が多くいます。
一人って、別に恥ずかしいことじゃないんです。
無理に合わないグループにいるより、周りと同じようにぼっちになった方が、気持ちは楽になるはずです。
大学では、みんなが個性豊かです。なので私も、自分らしく振舞うことにしました。すると、自然に友達ができました。本音で駄弁る友達です。
グループになって、何かを作る授業でも、私は発言ができるようになりました。高校では考えられなかったことです。みんなが注目して、無音になっても、私は自分の言葉を発せます。言い終わると、「分かるー」「それなー」と、普通の応えが返ってきます。何もビビることのない、普通の雑談です。
私はこう思いました。
「周りの人は自分らしく過ごしているというのに、自分だけ偽って過ごすのはもったいなくないか?違うのではないか?」
自分ってなんだろう、なんて考えなくていいのです。
ありのままに過ごしてみてください。
それが、自分です。

全体的に雑多な文で申し訳ないです。
まとめると、以下のようになります。
今ぼっちの人。
焦るな。周りと比べるな。自分らしく生きられる場所は必ずあるから、それを探せ。学生なら、卒業後のことを考えて。辛い時期は、そう長く続かないから。
そして、元ぼっちの人。
一人であることに悩んでいる人に声をかけてください。自分のぼっちエピソードを話してください。ぼっちは辛いけど、必ず報われる未来があると教えてください。
性格って、そう簡単に変わりません。
なら、無理に変える必要もないのです。
多分、今も私は引っ込み思案です。初対面の人に話しかけられない。これも性格です。
変えたいと思うなら変えましょう。あと、最低限のコミュニケーションは、取れるようにしておきましょう。挨拶と、感謝と、謝罪。これくらいできれば大丈夫です。
私は、高校時代、声を出そうにも出せませんでした。応える時は、何故かワントーンくらい高くなっていました。
でも、大学で、自分は自分でいいと思えました。周りの個性が強すぎる中で、私も個性があるのだと気づきました。
誰もが自分らしく生きることができたらいいなと思います。もし、そんな場所が今にない人でも、未来にあると私は信じています。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
それでは、また。

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