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新海誠映画『すずめの戸締まり』

 12/10(土)新海誠監督最新作の「すずめの戸締まり」見てきました。

九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽(すずめ)は、
「扉を探してるんだ」という旅の青年・草太に出会う。
彼の後を追って迷い込んだ山中の廃墟で見つけたのは、
ぽつんとたたずむ古ぼけた扉。
なにかに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばすが…。
扉の向こう側からは災いが訪れてしまうため、
草太は扉を閉めて鍵をかける“閉じ師”として旅を続けているという。
すると、二人の前に突如、謎の猫・ダイジンが現れる。
「すずめ すき」「おまえは じゃま」
ダイジンがしゃべり出した次の瞬間、
草太はなんと、椅子に姿を変えられてしまう―!
それはすずめが幼い頃に使っていた、脚が1本欠けた小さな椅子。
逃げるダイジンを捕まえようと3本脚の椅子の姿で走り出した草太を、
すずめは慌てて追いかける。
やがて、日本各地で次々に開き始める扉。
不思議な扉と小さな猫に導かれ、九州、四国、関西、そして東京と、
日本列島を巻き込んでいくすずめの”戸締まりの旅”。
旅先での出会いに助けられながら辿りついたその場所で
すずめを待っていたのは、
忘れられてしまったある真実だった。

公式サイトより

 いい映画でした。上記にもありますが主人公のすずめが扉を追って日本を北上していきます。各地で扉が現れる廃墟をめぐり戸締りしていく訳ですが、各所で様々な人と触れ合います。人々の優しさに感動しますし、訪れる廃墟がまた魅力的に描かれていて廃墟巡りにハマる人の気持ちがわかる気がしました。そんなロードムービー的要素がありつつ、少女の成長譚のような物語になっています。そして何より猫のダイジンが可愛い。ぬいぐるみが欲しい。

 新海誠作品と言えば私にとっては「秒速5センチメートル」です。大学生時代にこの映画を見ましたが、見た後1,2週間センチメンタルな気分が抜けませんでした。思春期に好きな人に思いを伝えられなかった経験がある男性は、結構同じような気持ちになった人が多いのではと思います。非常にいい映画なのですが、私にとっては心に追うダメージというか影響が大きい映画でした。アニメで「ハチミツとクローバー」を見た時も同じような感じ。陰キャ過ぎて青春を謳歌できなかったからかな・・・。古谷実の漫画「ヒミズ」を読んだ時も種類は違いますが同じくらいのダメージを受けましたね。

 それはさておき、私にとって新海誠=秒速5cmでその後しばらく新海作品を見ていなかったので、「君の名は」を見た時ファンタジー要素が強くて「あ、そっちの話なんだ」と驚きました。次作の「天気の子」もファンタジー。結構緻密に現実の東京とかを描いていて話がファンタジーなので、元々の印象も相まって最初のころは唐突感を感じていました。内容が面白いので別にいいんですけど、秒速5cm見たいな心にずしっと来る作品もまた見てみたいですね。

 そういえば新海作品は細田作品となんかごっちゃになります。去年も映画出してなかったけ?と思ったら細田監督の「竜とそばかすの姫」でした。次映画出すのは細田監督かな(2024年くらい?)。アニメ映画の監督が次々と頭角を現してくるのは応援したくなりますね。今まではジブリが支えてた感じですが、後継者が現れるかな。ジブリと言えば食い物が美味そうなことで有名ですが、本作品も愛媛のシーンで出てくる焼き魚が見るからに身がふわふわでめちゃくちゃ美味しそうでした。何かアニメで出てくる食べ物ってどれもおいしそうですよね。あの肉とかラピュタの目玉焼きと食パンとかルパンのミートボールスパゲッティとか。エンドロールで出てくる映像もジブリ感がありましたし、新海誠はジブリの後継者になるかな?

 基本的に映画のネタバレはしない派なんですが、以下ネタバレ含みますので見てない方はご注意。

 とっても可愛いダイジンですが、元々なんだったんでしょう?作中で要石になった者は長い時間をかけて徐々に神になっていくと、草太のお祖父さんが言っていましたが、彼(彼女?)も元は人間だったのでしょうか?また、なぜこの子を見た人がダイジンっぽいという印象をもったのか・・・。私には見た目から大臣要素は感じられませんでした。実際に触れ合った人だけが感じるオーラみたいなものがあるんでしょうか?サダイジンとの関係も気になります。左大臣がいるからにはダイジンは右大臣ということなのでしょうが、東北に向かう車中でダイジンを毛づくろいする様子から親子なのではという気もします。左大臣と言えば今でいう首相にあたる役職です。多分草太が持っていた書物を見るとその辺りの経緯が書かれているのかと思いますが、当時の左大臣の役職に就いていた人が国を守るため自分の子供と進んで要石になったのか・・・。きっともっとドラマチックな裏設定があるんでしょうが気になります。ダイジンと初めて会ったすずめの「うちの子になる?」に対して、要石に戻ることを決意したダイジンの「すずめの子になれなかったよ・・・」というセリフ。ダイジンはきっと悠久の時を孤独に過ごしていたんだろうなと思うと、涙が出ました。

 映画の後半ですずめが東北大震災の孤児であるということが分かります。冒頭のすずめが彷徨うシーンは常世に行った東北の情景だったのかと、だから船が屋根の上に乗っているような異常な光景だったのかと、合点がいきました。この子は親を亡くしていて、だからこそ一人で突然宮崎を飛びだせるほど自分の居場所と思えるところが無かったのかもしれません。それが旅を通して様々な人と出会い、育ての親との絆を再確認し、自分の居場所を見つけられたのではないかなと思いました。震災当時5歳くらいだった子が今17歳。小学生くらいで親を亡くし今は成人している子もいるのだなと思うと、時の流れを感じると共に彼らはどれだけ傷を癒せているのだろうかと思います。すずめのように自分の居場所、立ち位置を見つけられていることを祈ります。

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