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山田金一物語:第3章:博多から下関へ


金一は、博多の地にたったものの、職が無い。

歌がいくら上手くても、誰からも紹介が無ければ、その道にも進めない。

金一の桁外れの体力を生かすには、手っ取り早いのが、土方の仕事である。

金一はかなり働く能力があったので、酒屋でいっぱい飲めるくらいの酒代には事欠かなかった。


安酒屋の小料理屋に時折通った。
安いつまみと日本酒二合で、ほろ酔い気分になった。

その小料理屋には、時々娘が手伝っていた。
名前を「明子」という、物凄いべっぴんさんである。

明子は客商売なので、誰にでも愛嬌をふりまく。
その仕草が、金一の胸をとらえた。
一目惚れである。

ある日、金一は思い切って明子を店の外に連れ出し、胸の思いを打ち明けた。

「わしはあんたに惚れてしもうた。わしと一緒になってくれんかいのう?」

明子は突然の申し込みに驚いてうつむいた。

「やはりだめかいのう?。」

明子は顔をあげ、恥ずかしそうに答えた。

「よかですばい。」

明子もどうやら金一に想いを寄せていたようである。


土方風情が、小料理屋の一人娘を嫁にもらうことなど出来るはずもない。
「駆け落ち」しか道は無かったのである。


そして、二人は、下関の地に立っていた。
そこで入籍し、夫婦になった。

職は下関市役所で人夫の紹介があり、土方工事を担当する
向洋町の失業対策事務所を斡旋してくれた。

早速、失業対策事務所に人夫として登録したが、運の良いことに、失業対策事務所では
宿泊付きの夜警を必要としていた。
夜警の申込みをすると、あっさり許可が降りた。

宿泊室は無料で、夜警の手当と相殺するものであった。

金一は、昼間は土方として働き、深夜は夜警の職をこなした。
寝る間も少ない重労働であったが、若い金一には何でもないことだった。

明子は、その明るい性格で、事務所長から気に入られ、
事務所員のお茶くみ係に採用された。
事務所の片隅にある大きな釜で、薪を使い、火をおこし、お湯を沸かして、大きな薬缶で、所員にお茶を汲んで回るのである。
単純な仕事なので、高給は取れなかったが、おかずを買う程度の収入は得られた。


そして、1948年3月
男児誕生。

平和主義者の金一は
「強い力がないと、愛する家族は守れない。」という、
願いを込めて、
男児を「剛」と命名した。




           続く

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