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山田金一物語余話:「宗一郎とふみ、市営住宅へ〜宗一郎の死」


余話は思いつきで書いているので、年代順ではない。



大分の実家の山田家は、残された土地で何とか暮らしていたが、当主の宗一郎が70歳を超えた。

還暦が当時の寿命だったので
宗一郎は、当時としては、異常な程の長生きで、無病息災であった。

しかし、宗一郎も歳には勝てない。
大分の実家を放棄して、金一一家に面倒をみてくれないものかと思いたち、妻のふみを伴って、金一の市営住宅に訪れてきた。

当時は長男が、親の面倒をみるのが常識であった。
その常識に、宗一郎は従っただけである。

気位の高い宗一郎は金一に頭を下げて懇願した。

金一は返答に困った。

市営住宅は、2K で、部屋も6畳と4畳半だけで、親子3人で暮らすだけでも精一杯である。
あと二人も多くなるのは無理である。

宗一郎としては、大分の土地と家屋を処分して、家をどこかに新築すれば何とかなると
考えていたようだが、金一は
下関市役所の職員である。
不動産の移転などの手間が取れるはずもない。

結局、市営住宅に5人で暮らすしかないと思った金一は
宗一郎の申し出を拒んだ。


夜も遅い事だし、その晩は宗一郎とふみは、狭い住宅で寿司詰め状態で仮眠をとり
次の早朝、大分に戻って行った。

宗一郎は失意のうちに、大酒を喰らった。
まさに、意識を失うほどに。

次の朝、宗一郎は急性アルコール中毒で、永眠した。
苦しむこともなく、まるで眠ったような死に顔であった。


大田舎の昔の葬式は派手である。
70歳を過ぎれば、これは極楽大往生で、とても目出度い事とし、皆で、飲めや歌えの大宴会となった。



    この余話 終わり

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