大東亜戦争「九九式艦爆と満洲戦線」
終戦1945年8月15日
戦後78年経過。
仮に22歳で兵役を終えたとしても、現存する男性は
100歳を迎えます。
ほとんど鬼籍に入られ、
戦争体験者は極めて少ないのですね。
戦争の体験を風化させてはなりません。
高見純代さんの作品
「百日紅の咲く頃 第四部」
では、高見さんが華道の場で戦争体験談をレポートしてまとめられています。
私は戦後生まれた、団塊の世代です。
会長の九九式艦爆のエピソードと
父の満洲戦線のエピソードから引用します。
九九式艦爆は、定年退職後
OB会長から伺った逸話で
これは、海軍パイロットの
強力だった時代のエピソードです。
父の満洲戦線
父は、大東亜戦争で、満洲戦線狙撃部隊として、召集され
満洲から無事生還しました。
そして私が産まれ、やがて
大学生時代に父から戦争体験談を聞かされました。
父は既にこの世にいません。
父の戦争体験談を、
元祖「気楽な散歩」がお伝えします。
戦争を後世に伝える為に。
最初にお断りしておきますが
これは戦争のごく一部を語るものです。
第一、大東亜戦争の主力は
世界一を誇る、大日本帝国海軍が参戦した南方戦線なのですね。
元祖「気楽な散歩」から
高見さんの「百日紅の咲く頃」は、最終章が終了しました。最終章をご参照ください。
(2023年6月21日加筆訂正)
高見さんには、リンクの許可は頂いていないのですが
高見さんには、この場を借りて、謝罪並びにお礼申しあげます。
トップ画像は、父の勤と母の綾子が失業対策安定事務所で土方生活をしていた時の写真で、バックのトラックは土方工事で土砂を運ぶ専用トラックです。
その後の生活は
#山田家物語 を参照下さい。
余談となりますが、元祖「気楽な散歩」にアクションを起こされても、アカウントにアクセス出来ないため、ご容赦ください。