千円札

畳まれた千円札が道に落ちていた。
ふたご座流星群の日だと聞いて、散歩でもしようかとスーパーに出かけた帰り道だった。

こういうとき、天使と悪魔がささやき合うなんて設定のコントを子どものころ死ぬほど見たなと思った。
ただ実際に、落ちている千円札を目の前にすると「1000円欲しい!」という気持ちは全く湧いてこなかった。それが”欲しい”という感情がない場合は、天使も悪魔もない。

もしかしたらどこかにカメラが仕掛けられていて、ネコババする映像を狙っているのかもしれないし、それをYouTubeやTikTokにでもあげようとしてるのかもしれない。
そうでなくても、誰のか分からない得体の知れないお金はちょっと気持ち悪かった。

ひとまず道の端に飛ばないように置いて歩いて立ち去ることにした。
しかし、進んだ先の赤信号を待ちながらも、私は千円札のことを考えていた。
こんなこと実際にあるんだな、もうこの先の人生で2度とないかもしれないな。そんなことを思っていたらこのままこの流れを終えてしまうのがなんだか勿体ないような気がした。

こういうとき、どうするのが良いんだっけ。
交番に届けましょうって聞いたことあるな。
交番なんて近くにあるのかな。
交番って24時間営業なのかな。

こんなときすぐにスマホで調べられるのがZ世代。マップで検索したら、最寄りの交番は350m先にあることが分かった。
普段意識していないだけで、交番はいたるところにあるのだと気づいた。

よし行ってみようか。
缶詰をたくさん買ったスーパーの袋は重いし、夜の風は冷たいけど、思いがけない非日常的な出来事に心は浮足立っていた。
私は青信号に背を向けて、今来た道を引き返した。

さっき私がよけた道のすみっこに、その千円札はまだあった。
その千円札を拾い上げて、交番へと向かう。冷蔵庫みたいな寒さの中手袋もなく出てきてしまったので指先はかじかんでいたが、その千円札をポケットに入れる気にはならず、左手で軽く握って歩いた。

手が冷たいことも、袋が重たいことも、自分にとって”不快”であることすべてが、自分が行っている”善行”を引き立たせる燃料になっていた。
この状況に酔っていたし、とてもワクワクしていたのだ。

「どうして自分のものにしなかったのですか?」「どうして交番に届けたのですか?」
ありもしないインタビューを妄想して、答えを考えたりもした。
「得体の知れないお金はほしくないからですかね」
というのが正直だけど
「星がきれいな夜だったので」「大好きな音楽を聴いていたところだったので」とか言ったら格好良いかな。ふふふふふ。

交番は夜だけど、ちゃんと灯りが点いていた。
中にいた警察の方に千円を渡すと、落ちていた場所や、私の情報を聞かれた。
「これ、落とした人気付いてないかもだし、一応半年その人出てこなかったら拾った人のものにもできるけどどうします?」
最後にそう言われ、「いらないです」と断った。
「この千円はあなたのものです」と正式に言われたところで欲しいという気持ちは湧かなかったし、そもそもこの千円札には、もはや金額以上に楽しませてもらった。

たしかに金額が大きければ、拾得者の権利について真剣に考えたかもしれないが、たかが千円、されど千円。
お金を拾って交番に届けるという、小学生のときに想像しまくった行動を経験できたことがうれしかった。
私はこの千円を一番有効に”使うことができた”と思っている。




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