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【熱田】生まれ育った街~後編~

前回からの続き。
時代は、古代尾張から戦国尾張へ。

熱田神宮は、神仏を信じない織田信長が唯一崇拝し(一説には利用し)、桶狭間の戦いの前に立ち寄り、戦勝祈願をした(軍勢を待った)神社である。
あまり知られていないが、長篠の戦いでも祈願し、再び世の中をひっくり返した。
境内には信長塀や佐久間灯籠もある。
信長が造営した海上門は、太平洋戦争の爆撃で名古屋城とともに焼失した。

そして、30年前まで、熱田神宮には熱田図書館があった。
小学生の時に、両親が離婚した(というか、母親が追い出され、新しい女性が来た)。
家にいたくなかったので、熱田神宮に自転車で通っていた。

そこで、司馬遼太郎『国盗り物語』『梟の城』『関ヶ原』、吉川英治『太閤記』 、山岡荘八『織田信長』『徳川家康』『伊達政宗』 、津本陽『下天は夢か』、池波正太郎『真田太平記』 など、戦国ものを片っ端から読んだ。
ただ、昼寝をしに行った事もある。

ちなみに、当時放送された大河ドラマの影響で、母親から初めて与えられた本がジュニア版『武田信玄』、それが面白くてすぐに新田次郎『武田信玄』も買って貰った。

その後、母親はいなくなる訳だが、歴史や読書を通じて、母親と繋がっていたかったのかもしれない。
また、嫌な現実から目を背けたかったのかもしれない。

初詣は熱田神宮、熱田祭りの花火と屋台と人々の喧騒、七五三も熱田さん。
全部、母親と行って楽しかった。

そんな私が大学で文学部史学科に入り、日本史中世を専攻し、卒業論文に『武田信玄の治水事業』を選んだのは、もう偶然ではない。

熱田に生まれ、名古屋城の堀川沿いで育ち、熱田神宮で学び、読書と、信長と信玄が好きなのは、もはや必然だ。

人生には、偶然のような必然が多い。
それは、自分に関係する偶然を、自分にとって意味がある「必然」に変える。
世界を変えたかった、のかもしれない。


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