小学校6年生の時の話や、特別教室での話

前回のお話が長くなってしまったので、6年生の時の話から。今回も暗い話などでお気をつけてください。

6年生の時、それまで一度も親に言えなかった、特別教室に通いたい、という話をしました。何と言って通わせてもらったかは覚えていませんが、一年生の頃から興味がありました。

特別教室では、いろんな理由で他の子と一緒に授業が受けられない子が勉強をしていると、一年に一回程通常の教室で説明があったからです。
私はずっとそこに通いたかったです。でも、親に迷惑をかけたり、不安な思いにさせると思い、出来ませんでした。

だって、"特別"って"普通じゃない"ってことでしょう?
そんな気持ちが正直に言ってありました。
私は特別教室に行っている子に悪口を言ったり、態度を変えたりはしませんでしたが、他の同級生の子達は、特別教室にあの子行っているんだって、という話をしたり、普通教室の子とは何か違う子、という少しよそよそしい認識があったように思います。

それでも、本当に特別教室に行きたくて、親に何とか説明をして(どんな説明をしたかは覚えていませんが)特別教室の見学に行きました。

とても先生が優しくて、授業もいい意味で学校らしくない感じでした。先生と遊んだりもできるし、体を使いながら覚えたりも出来て、何より教室より音が少なくてとても安心した事を何となく覚えてています。

私は特別教室に通えると決まった時、とても嬉しかったです。初めて逃げ場が出来て、自分が否定されない場所ができたと思いました。

最近はあまり見ないですが、夢の中の学校で、誰かに追われている夢を見ると特別教室に逃げ込んでいました。通常教室の子達が特別教室には何か理由がないと入っていけない、という決まりがあったのもありますが、心からそこにいていいと思えたから、ということなのでしょう。

6年生の冬に不登校になってからも、特別教室の先生はお家まで来てくれて、一緒に学校まで行ってくれました。そして、他の特別教室の子たちの授業の時間になるまで、一緒に勉強したり、遊んだりしていました。他の特別教室の子達の授業の時間になったら私は家に帰りました。強要や怒鳴ったりされる事はなく、やりたいと言った事を先生の出来る限り尊重してもらえたと思います。

その当時はあまりわかっていませんでしたが、学校の先生というのは本当に激務で、一人の生徒だけにそんなに丁寧に接する時間を取れないことの方が多いそうです。当時も特別教室の先生は本当に忙しそうだなという印象を受けたぐらいですから、私に見えないところでも、本当に頑張ってくださっていたのでしょう。頭の下がる思いです。

冬になって、卒業式の練習が始まっても、練習には出られませんでした。他の子達の目がくるのも、何もかも怖かったからです。特別教室の先生はそれでも許してくれました。気になるけど他の子達の目がくるのを怖いという話を確か特別教室の先生に話したんだと思います。それを聞いて先生は、まず、他の子達の練習を遠くから見るのはどうか、と言ってくれて、他の子達から見えない場所で見ていました。

結局、一度も卒業式の練習には出れず、みんなと同じようには卒業式には出れませんでしたが、特別教室の先生がとても頑張ってくれている事はその当時もよく感じていました。

卒業証書はみんなが帰った後、少人数の先生と、母が見守る中で貰いました。
本当は卒業式に出る予定でしたが、卒業式に行きたくない、と卒業式の服に家で着替えて、後は出るだけというところで私が怖くなって言ったからです。

母は号泣していました。何で出てくれないの、と言われました。私も出た方がいい事はわかっています。母がそれを見たかったことも。それでも、他の人たちの目。大音量の式の音。もし失敗して笑われたらどうしよう。そんな気持ちで一杯でした。

家族には学校でいじめられているという話も、授業に出れず泣いているという話もした事はありませんでした。学校が楽しいといつも言うようにしていました。
高校を卒業したぐらいの頃に、小学校当時の辛かったという話を一言二言、何とか言えたぐらいです。本当にそれぐらい家族に心配も迷惑もかけたくなかったし、自分は大丈夫だと思ってほしかった。
卒業式の練習を遠くから見ている時も、卒業式の時も、正直色んなことが不安でした。中学校はどうなるんだろうと言う不安と、中学校も頑張らなきゃ、という強迫観念に近い物を持っていました。私だけ置いて行かれている気持ちがいっぱいでした。

今回はこの辺で。次回は中学校、高校の話を書きます。

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