【雑記】槍術士ストーリーのモヤリティを真面目に考え直す
モヤリティが収まらないので、時系列を真面目に整理し考察しなおすことにした。
時系列を整理してみる
イウェインはフールクをただの道場破りとしか認識していない。
昔一緒に働いていたとか、そういう情報がないのがすごく不自然だ。
そもそもイウェインはいつ頃ギルドマスターになったんだろう?
彼について調べてみると、出典元は不明だがこんな記載を見つけた。
え!?なんかそんな話あったっけ?と思ったけれど、イウェイン自身がこんなことを言っていた。
で、この除隊理由が恐らく南部森林にいるランドゥネルじゃないかと思う。
元海雄旅団団員で、メインストーリー「エオルゼアの珍味を求めて」にも登場した口の悪いエレゼン族だ。
レターモーグリイベントでは、ランドゥネルに送り主不明の手紙を届けることになるのだが、ここでランドゥネルのバックボーンについて、ヴェイスゲートが話してくれる。
なんとランドゥネルは父親が犯罪者でそのために差別を受け、母親はそれを苦にして自殺してしまったのだという。
この嫌がらせによってイウェインは鬼哭隊を除隊、ランドゥネルもグリダニアを出奔した流れなら話がかなり自然になってくる。
つまり話の流れは以下の通り。
槍術士ギルドと鬼哭隊は非常に近い間柄ではあるが、厳密には別組織だ。故に、フールクとイウェインに面識が無いことも、まあ考えられなくもないかな、と思う。
となると、ここまで読んでようやく一体誰と誰が対比されていたのかが明確になってくる。
要するにこのストーリーの中で対比されていたのは冒険者とフールクではない。また一連の槍術士クエストの主人公は恐らくイウェインとランドゥネルであり、フールクと冒険者は二人のもう一つの可能性なのだ。
対比されるイウェインたちとフールク
フールクは細かな出自は不明だが、シェーダー出身でありながら槍術士ギルドに参加し、その結果困窮に陥って犯罪を犯した。
その時周囲にいたのは仲間でも友人でもなく、ただの裏切りものだった。
ところがイウェインとランドゥネルは違う。
犯罪者の息子であり差別対象であるランドゥネルに、イウェインは何も変わらず親友として接していた。恐らくランドゥネルのことをイウェインは幾度となくかばっていたはずだ。
やがて友にすら牙をむく人々に落胆したランドゥネルは、国を捨て出ていってしまう。しかしその時イウェインは彼を裏切ってはいないし、ランドゥネルもイウェインを裏切ってはいない。
なにより二人とも犯罪を犯していない(ここが重要)。だからこそイウェインやランドゥネルをそれぞれ拾ってくれる人がいたのだろうと想像できる。
イウェインは友人であるランドゥネルを信じていたから濡れ衣を着せられる羽目になり、しかも甘んじて受け入れる。ランドゥネルもイウェインを信じていたからこそ濡れ衣を着せる人々に落胆している。
相互に信頼があるからこそ、この関係が成立する。
フールクになくて、二人にあったもの。それこそ陳腐な表現ではあるものの「友情」「信頼」だったのだと思う。
ランドゥネルも一歩間違えればフールクになっていたかもしれないが、その一歩を押しとどめていたのがイウェインや、海雄旅団の団長だった。
間違いなく彼は人との出会いに恵まれている幸運な男だ。
ところがフールクはそういう幸運には恵まれなかった。
本当の仲間ならば、困窮している時に助け合うとか、仕事を一緒に探すとか、やりようはあっただろう。
窃盗に走るような仲間を信頼してしまった無防備さも彼の弱みだったかもしれないし、そのことを「悪いことだ」といさめてくれる存在がいなかった。
犯罪に走るかどうかは周囲の人間の存在で決まるわけではない。
だが犯罪を行わないか、悪いことであると自覚しつつも行うかには天と地ほどの差がある。
ランドゥネルが再び鬼哭隊に戻れたことと、フールクが全く受け入れられなくなったことの最大の差は、やはり実際に犯罪に手を染めたかどうかなのだと思う。
槍術士の物語は「自分の傍にいてくれる人がいた奴といない奴」の対比であり、出会うのが遅すぎた奴らの話でもあるのかもしれない。
【まとめ】そもそも主役を見誤っていた、それでももやる
ということで、別のストーリーをやって整理して、ようやく「こういうことか~」という着地点を見出した。
だが、それでもモヤモヤは残る。
このクエストを見て感じるのは、グリダニアが他の国に比べても排他的な色合いの濃い地域であるということだ。
もちろん、ゲーム内の出来事というのは現実世界の縮図でもある。
出身地域で差別をされたことがあるなんて人は良く見るし、犯罪者の子供がひどく苦労する話はノンフィクションでも頻繁に取り上げられるテーマだ。
そして、その時にどんなに辛い境遇にあっても心を通じ合う仲間がいれば立ち直ることができるというのも非常によく見る。
だからこそフールクに救済の道が欲しかったなと思うし、罪を犯しても救済が与えられることがあるんだよ、という方向にいかないんだなとモヤモヤしているのだと思う。
さかなクンはこんなことを書いていて、ようするにこれこそがこの槍術士の一連のクエストを端的に表す言葉だと思う。
フールクは自分を理解してくれる人を求めていて、もしかしたら冒険者がその理解者になってくれるかもしれないと思っただろう。
ところがフールクはその冒険者にすら恐怖を抱き、谷底に落っこちていってしまった。差し伸べられたかもしれない手を払いのけてしまったのだ。
最後の戦いのとき、あそこでフールクが槍を置いていたら。
もっといえば、罪を犯したことを周囲の環境のせいではなく、己の弱さが故であると受け止めていたら、こういう結果にはならなかったのかなと思う。
イウェインの言いたかった「勇気」というのは、自らの弱さすら受け入れる度量も含んだ言葉だったのかな、と思って納得することにする。
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