【雑記】アサヒっていいキャラしてるよね

紅蓮のカットシーンを何となく見返している(クリスタルタワーを見返していたついで)。

アサヒがヒカセンにブチ切れてメンチ切ってきた理由が「自分はゼノスの友になりそこなったのに、ヒカセンはゼノスの友になれたから」だったなと改めて感じて、ニヤニヤが止まらない。

4.3あたりプレイ中は「本性をあらわにするのが早すぎると思いませんかァ?エオルゼアの英雄であるこの私に対してェ?」の気持ちになっていたりしていた。もうちょっと本性隠せよアサヒ、と今でも思っている。
だがこういうところが「優秀なのに軽率」な感じがして実に残念でいい。
頭の中はゼノス殿下のことでいっぱい。まるで恋する乙女のような跡先の考えなさだ。
余輩ちゃんと同じく、本来なら女性が担いそうなロマンチックで妄執的なポジションを担当しているのがアサヒだと思う。
なお新生の頃のここのポジはリウィアだった。あいつも強烈な女だったよな。こっち来なくていいから、ガイウスの尻追っかけててくれって思った記憶がある。

さて、アサヒはこういうところを含め良いキャラしすぎているのだが、ポジション的に小物すぎるところも含めて最高なんだなぁ。白旗上げて降伏する羽目になっているのは自分たちなのに、舞い上がっちゃって立場忘れているところもかわいそ笑という感じになる。

アサヒに対しては「までもゼノス殿下の友は私ですけどね~?ゼノス殿下と殺し合いもできちゃうくらい思いあってるんですけどね~?二人っきりでもめっちゃ会ってますし~?なんならアラミゴ空中庭園でデートしましたけど~?」とマウントを取りたすぎる。
めちゃくちゃぶちぎれられそう、だがそれがいい。

さて、ゼノスにとっての「友」とは、コミュニケーションをちゃんと取ろう(なおゼノス流)という意思を持った相手だよね、みたいな話はここで散々したのだけれど

そういう概念をゼノスが持っているということは、彼にとってすべての人間は「友か、それ以外か」というコミュニケーションにおける極限まで大きく高い壁が存在するということだ。
普通の人間ならそこに知り合いや顔見知りというような中間層が存在する。だがゼノスにはない。0か100かでのコミュニケーションで生きていけるうらやましい男がゼノスだ。

アサヒは友になりそこなっているために、ゼノスにとっては0に該当する有象無象でしかない。だからヒカセンと違って顔や名前を憶えてもらえない。彼にとってアサヒはどうでもいい。(かわいそ笑)

そもそもアサヒの記憶の中で「アサヒ」と囁いたのは、ゼノスの姿を借りたアシエンだ。ゼノスではない。むしろ本物のゼノスを知っていれば、あのシーンで「アサヒ」と名前を呼ぶのが違和感ある行動だとプレイヤーなら大体感じ取れてしまうよなぁと思うのもなんとも…。

あんなにアサヒが嫌悪しているヒカセンのほうが、ゼノスについて知っている。ゼノスと会話したこともあるし、ゼノスの行動を嫌というほど見てきたせいで、なんとなくアシエンが中に入ったゼノスの顔を持った男が別人である(死体を目の前にしなくとも、漠然と発言に違和感がある)ことをヒカセンは察知できるが、アサヒは理解できない。

こういう「かわいそ笑」なところも、プレイヤーにアサヒが愛されてる理由なのかな~と思っている。去年のハロウィンとかすごかったしね。

話を元に戻す。
とにかく、アサヒはゼノスの友になりえない。だがそれはアサヒが戦闘をした際に弱いからではない。アサヒがゼノスの敵になりえないからなのだ。
つまり強敵と書いて友と読む、みたいなコミュニケーションをゼノスは求めているのだ。世紀末覇者って感じ、北斗の拳が始まったな。

こう考えると、やはりゼノスの友になるのはなかなかハードルが高いなぁと思ってしまう。
まず味方ではいけない。まず殺しあえる立場にあり、彼を傷つけられる実力が必要だ。そのうえで彼に目を付けられなければならない。

こういう条件にアサヒは全然当てはまっていない。
アサヒが優秀かどうかはどうでもいいのだ。そもそもゼノスの味方で刃を向けようという意思がないので、論外ということになってしまう。
それにフォルドラに目をつけた時のように、彼のアンテナに来るような振る舞いができるわけでもない。

こうしたどうやらゼノスの独自ルールに、アサヒは気が付いている様子がない。ただ信奉してガレマール帝国に尽くせば、そのうち彼に見初められると思っている空気がある。そうして実際、彼にとってはそうなったから真実になってしまったわけだ。
そのようす、さながら「いつか王子様が」を歌う白雪姫のごとし。

そうか、つまりアサヒはそういうプリンセスポジションなんだな…と思えば思うほど、彼の報われなさが「かわいそ笑」という感じになってくる。
「かわいそう」ではない。「かわいそ笑」という表現のほうがしっくりくる。それは彼の暗躍が結局なーんの意味もなさず、最後の最後まで自分を呼んだゼノスが赤の他人であることに気が付いていなかったからだ。
なんにもしらないから「かわいそ笑」なんだよな。
この「かわいそ笑」は読んで字のごとく?ちょっと嘲笑が混ざっている。

でもこの「かわいそ笑」みたいな感覚は、私から見た場合の話だ。
アサヒ自身は意外とこういう、ゼノスに尽くしても報われない自分が好きかもしれない。そういう自分の悲劇性に酔ってるかもしれない。
どっちにしても、この短い期間にやたらめったらインパクトを残して行ってくれて、人気の理由がかなり分かってきた気がする。そのまま退場なんてもったいないよね。

死んだあとに自らの召喚した蛮神を良いように扱われたやつがいたり、死ぬ直前に本懐を遂げるやつがいたり、死んでから本懐を遂げるやつがいたり、エオルゼアの人間模様はカオスだな~執着の強い人間ってやっぱ面白いよな~

このカオスこそが、紅蓮最大の面白さだったなと今になって見て思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?