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今日誰に何回ふれましたか?PERFECT DAYS

今日、誰に何回触られましたか?
家族友人他人同僚顧客、物理的に触れられましたか?
そしてあなたから誰かを触りましたか?

平山が自ら触れたのは親類だけ だったように思う。
しかし彼に触れてくる人は幾人かいる。そして言葉をかけてくる人も何人かいる。目線を交わすだけの人もいる。

それが木漏れ日のイメージとがちっとははまらなかったが、そこで葉っぱの重なりの刹那的な出会いから一歩踏み込んで家で大切に水を毎日あげるような関係性にすること、を平山はしない。毎日の波風を立たせないルーティーンで自分を守る。

寝る前に本を読まなかった夜があったシーンが一番よかった。

飲み屋や本屋で優しくされるがそれは接客、お金を介しての優しい目線だがその中にも愛はある。
自ら触れるのはお金を介さない相手にだけ、なのかもしれない。

これは公式サイトよりアヤの紹介文。

この、好きでも嫌いでもない、というのがまさに言い得て妙だと思った。対客、に対してはだいたいそういう気持ちだろうし、対社会、にしても同じくではないか。

期待はしない。傷つきたくない、毎日本を読んで寝たい。そうしてもいい、そうなっても受け入れるには対価がある時。または愛している時。

平山に触れてくる人々は対価を求めている。それは愛かもしれないしお金かもしれない。

銭湯のお爺二人組もよかった。会話はしないがニコを見て驚くくらいは顔見知りであるし二人が仲良くなるストーリーも透けて見える。
あとその銭湯出る時のニコの服もよかった。
あと三浦友和のスタイリング。
出ました伊賀大介。 めちゃくちゃ良い!とかでなく何かしら違和感をいつも感じさせられて、存在感を与えてくる。さすがだね。
あとtokyo toilet?ロゴの作業服も一瞬違和感あったけど、NIGOなんかーい!笑

今度は今度、今は今 はあまりピンと来なかったけど言葉として頭に残ったので、いつかあーこれか、と腑に落ちる時が来ることが今もうわかっている というような感触。

耳を触ってくる子をタカシは受け入れていたがいなくなってしまった。その子もその日はいつものルーティーンができなかったかもしれない。
タカシはその子のことなんてもう忘れているだろうがずっと遊び続けなければいけない謂れなんてない。これも触れる触れられるの関係のひとつ。

石川さゆりママのハグを見て動揺する。後に理由を知る。妹とハグをする。それをママが見かける可能性。

いつも隣でパンを食べているOLと目線を交わす。本屋の店主にも飲み屋のおじさんにも人生がありみんな毎日おつかれさまなことである。

そのひとの疲れに「お」をつけて 「さま」までつけて「おつかれさまです」と声かける ぼくらの日々〜🎵

手で触れなくても目線でふれる、言葉で触れる、影を踏んでふれる、◯✖️メモでふれる、いろんな人間関係があり、そんなコミュニケーションをふれあい、と言ったりする。 
夢の白黒のシーンがこの映画の質感を良くしていたように思う。公開すぐからトイレが綺麗すぎる等々悪い評を見ていた事もあり最初の20分ほどは面白くなかったらどうしよう、との不安で集中できなかったが終わってみればその落差からではなく普通に良かったと言える作品だった。

平山とニコがベンチで牛乳、イチゴ牛乳飲む時服の色とリンクしてたけどあれってなんか意味ありますか ただの絵的なもの?それか口に入れるものと服(作業着の青)とかなんかあるかなと一瞬思ったけどどうでしょうか。

あと最後に嫌だったところ。掃除シーンで素手のシーンが多い!さすがに実際そうされてるからというリアルだからだと思いたいができたら徹頭徹尾手袋してるべきだったと思う。なぜなら気が散るから。。
そして迷子の子をその手でさわるのもちょっと。。
そのお母さんが嫌な目で見て手を拭いて、差別的に見られてるのを表現だったのかもしれないけど実際素手で掃除してるわけで。。汗
そこだけなかったらもっと手放しに良かったと言いたかったかなというまとめといたします。トイレの宣伝やん、とは受け取らなかったしみんな頑張っていきてるんだぞいのほうを私は受け取ったということです。
ネットの感想信じてまあ見なくていいかと思ってさえいたのでなるべく影響されないようにしたいことですな


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