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デンマーク - 幸せの国

18,435 文字

デンマークは小さくても成功した国で、おそらくスコットランドが最も見習いたいと思うてる国やね。グリーン転換の先頭に立って、世界で2番目に住みやすい都市があって、ヨーロッパで一番短い労働時間で最も満足度の高い労働力を持ってはるわ。でも、国民は世界で最も高い個人税を払うてはんねん。せやから、デンマーク人がなんでそんなに幸せなんか気になるわ。
ようけの人が聞くねん。「モデルはあるんか?」「これを大規模にできるんか?」って。せやけど、わしはそうは思わへんな。
ほな、始めるで!わしは収入の37%ぐらいを税金で払うてるわ。そんだけ税金払わんかったら、この福祉国家を維持できへんし、全部が繋がってるんやね。
うちらは試験をしたりとか、成績をつけたりするのは禁止されてるんや。だから、誰にも管理されへん方法で教えられるっていう、めっちゃユニークな機会があるんやで。
コペンハーゲンは世界で一番持続可能な首都やねんけど、デンマークのすべてがそうやけど、それは偶然じゃなくて計画的にそうなったんや。1980年代、この街は破産寸前やった。重工業が衰退して、人口も税収も減って、川は汚れてたんや。若い家族を呼び戻すのが課題やったから、市議会は「どないしたらええか?」って聞いたんや。そしたら、意外な答えが返ってきてん。
街の中心部で泳ぐことやねん。運よく、同僚のティナ・サービさんがここにおるわ。はじめまして。ここで水に入っとるんやね。一緒にここにおるなんて、ほんまにびっくりやわ。ほな、教えてほしいんやけど、あんたはここで10年間都市建築家としてはたらいて、ようけの変化を見てきたんやろ?ここの港で泳ぎ始めたんはいつごろからなん?
2000年か2002年ごろから始まったんやで。最初の遊泳場ができたんが2000年ごろやったと思うわ。
ほんで、水をキレイにするのにどれだけ苦労したん?ひどい状態やったんやろ?
かなりやで。直接水に流れ込んでる下水管がようけあって、それを全部変えなあかんかったんや。
そら大変やったやろなぁ。新しい下水システムを入れて、雨水が溢れんようにする排水路もつけたんや。港の底の沈殿物もキレイにせなあかんかってん。
40年前に何億ポンドもかかったけど、それだけの価値はあったわ。港が街を二つに分けてたんやで。誰も港に来ーへんかった。工業地帯で暗くて、塀で囲まれてたからな。そんな場所に来る人おらへんやろ。今日の港を見てみ。コペンハーゲンをほとんど一つにしてるやんか。
他の場所やったら、新しく整備された水辺には高級マンションとかプライベートな桟橋がびっしり建ってるやろうけど、ここはちゃうねん。計画立案者が市民のアクセスを守ることに決めたんや。
うちらには計画システムがあって、全エリアに公共アクセスのためのガイドラインと規制を設けてるんや。土地の多くは民間所有やけど、公共アクセスがあるんやで。それに、人々が港沿いを歩いたり自転車で走ったりできるようにしたのも、みんながここに来たがる理由の一つやと思うわ。
人口は維持できたん?家族がもっと小さな郊外に引っ越さんと、ここに住んでるん?
ここ見回してみ。若い人も、家族も、子どもも赤ちゃんも、お年寄りもおるやろ?どの世代も街に住んでるって感じやと思うわ。
せやけど、80年代の再生は川だけにとどまらへんかってん。住宅も改善されて、ゴミ置き場みたいな裏庭の代わりに、コペンハーゲンの人らは協力を保証するルールのある素敵なデザインの庭をもらったんや。
一つのコミュニティにせなあかんかってん。だから、私有化するための柵を立てるのは禁止やった。雨水は大きなシステムから独立した独自のシステムを持つべきやし、車は禁止。
言うてみれば、これは早い段階での持続可能性の考え方やったんやな。それに大事なのは、その後の維持管理も自分たちでせなあかんかってんことや。これも民主的な方法で管理する方法やったんや。今はここに住む各家庭から維持管理のためのお金が出されてる。言うたら、コミュニティでの維持管理やね。
コペンハーゲンの住宅の3分の1は協同組合所有で、それが価格の上昇を抑えるのに役立ってるんや。住宅コストはゆっくりと上がってるけど、暖房は比較的安いままや。この街は100年間地域暖房を使ってきて、今日では98%の家庭が10か所の中央ボイラープラントから高効率で安価な熱を得てるんや。ここでは個別のボイラーで苦労することはあらへんわ。
デンマーク人だけが、こんな暖房プラントを想像して建てられるんやろな。アムルバキ・プラントは、通称コペン・ヒルって呼ばれてて、屋根に人工スキー場があんねん。エネルギーは地元のゴミを焼却して得てるから、輸送距離が最小限で済むんや。排出されるのは水蒸気だけや。でも、この街は2025年までにバイオマスに切り替えることを目指してるんやで。
コペンハーゲンの人らを幸せにしてるもう一つのデザイン特徴は交通やな。自転車は車よりも多いんや。今日では、58%の住民が500キロメートルの自転車レーンと車のない橋を使って、仕事や学校に自転車で通ってるんやで。
これが、自転車をコペンハーゲンで一番速くて安全な移動手段にしてる素晴らしいインフラの一つやね。だって、これは自転車と歩行者専用の橋やからな。これが自転車を人気にしてる理由や。だって速いし、素早いからな。
わしはマリアンヌ・ワインリッチさんと一緒におるんやけど、彼女はデンマーク自転車大使館の議長さんやねん。ここの自転車乗りの顔には苦しそうな表情がないな。ヘルメットもほとんどかぶってへんし。実際、普通の自転車乗りには見えへんわ。
女性が目立つな。あんたみたいにきれいな服装で。そうやな。仕事用に着替えたり、汚れたり濡れたりするような自転車用の服装に着替えたりせんでええんや。ほな、乗るために着替えるんじゃなくて、目的地に合わせて服を着るってことやな。
そうそう。驚くべきことに、1980年代のコペンハーゲンは、今日の多くのスコットランドの都市と同じように、車中心で渋滞がひどくて、自転車に優しくなかったんやで。
でも、それを変えるためにようけ努力したんやな。ここはノーリプル駅っていう市の中心部にある駅に来たんやけど、ここは大きな自転車駐輪場を備えて再開発されたんや。大きいけど、もう足りへんくらいやな。
政治家らが毎年予算を組んで、自転車レーンをどんどん増やしていく決定をしてきたんや。これは市民が望んでることでもあるし、先見の明のある政治家らがこれをコペンハーゲンの交通の一部として見てるからなんや。
ここの自転車に関してはみんなリラックスしてるよな。安全性をレーンのデザインに組み込んでるからやろ?
安全性はデザインの一部やねん。必ずしも身につけるものじゃないんや。保護された自転車レーンっていうのがコペンハーゲンというか、デンマークのデザイン基準なんや。つまり、歩行者エリアがあって、そこに縁石がある。
歩行者と自転車を物理的に分離する縁石があるんや。それから自転車レーンがあって、そこにもまた縁石があって、走ってる車から自転車を物理的に分離してるんや。この物理的な障壁が重要なんや。だって、ただ塗装されたレーンとかだと、それを越えられるから、同じような安全性や安心感は得られへんからな。事実上の安全性も安心感も得られへんのや。
これは女性を自転車に乗せるための重要なポイントなんかな?ここではそれが目立つよな。
そうやな。研究によると、街の女性の自転車利用率はその街の自転車の安全性を示す指標になるんやって。一般的に、女性は人生においてリスクを避ける傾向が男性より強いんや。自転車に関しても、安全でなければ単に乗らへんのや。
わしらはそういう意味で賢いんやと思うわ。それに、世界の無償ケア労働の75%を女性がしてるっていう事実を考えると、それはしばしば子どもと一緒に移動することを意味するから、子どもと一緒に移動するためにはより安全である必要があるんや。
だから、特に女性や子どもが自転車に乗れるようにデザインすることは、安全性を念頭に置いたデザインってことなんや。そして、それが自転車利用を普通のことにして、若くて大胆で強くて恐れを知らないサイクリストだけじゃなく、もっと幅広い層に広げることになるんやな。あんたもそういうサイクリストとしてはかなりええと思うけどな。
自転車を通勤者にとって明らかな選択肢にするのは、一体化した交通戦略なんや。
自転車専用の車両があって、たった5台分じゃなくてな。場所を取り合う必要もないし、予約も要らへん。すべての通勤電車にあるんや。こんなんあったらめっちゃ便利やわ。
コペンハーゲンを後にして、この島国の残りの部分を探検するために、ユトランド半島の中心にある小さな町、スキヴァに向かうところや。
デンマークはスコットランドとほぼ同じ人口やけど、面積は半分しかないんや。昔からこうやったわけやないんやで。デンマークはかつてノルウェー、スウェーデン、フィンランド、アイスランド、そしてシュレースヴィヒ・ホルシュタインを支配してたんや。でも1864年の悲惨な戦争でドイツに負けてしまってん。その後、デンマークはほとんど存在しなくなりそうやったんや。でも、デンマーク人はこの巨大な領土、人口、地位の喪失にすぐに適応したんや。恨みや郷愁もなくな。
その代わりに、この国は変化を受け入れて、急速に力を取り戻したんや。それはかなりユニークな教育システムのおかげやったんやけどな。
まあ、コペンハーゲンや大都市以外にも生活はあるんやで。これが小さな町のデンマークや。でも、かなり違うんやな。静かやし、パブもないし、この小さな村には店もない。
でも、市議会が資金提供してる6つの小さなグループや団体があるらしいわ。だから、ここの人らは活発な市民やねんけど、公共の場ではなくてな。
ラリッサ・アルバースさんは教師でお母さんや。毎朝、息子のフェラリックを幼稚園まで歩いて連れて行くんや。3歳になる1ヶ月前から始めるんやで。デンマークでは、小学校は4歳や5歳じゃなくて、6歳から始まるんや。やさしいスタートやねん。文字や数字、色なんかは勉強するけど、自分の名前がスペルできるかどうかは必須やないんや。費用はイギリスのフルタイムの3分の1ぐらいやな。幼稚園や保育所がなかったら、あんたが教師として働くのはかなり難しいやろ?
そうやねん。わしの職場まで車で30分ぐらいかかるし、帰りもそれぐらいやから、子どもを預けられて安全やって分かる場所が必要なんや。そうせんと仕事ができへんし、お金を稼いで家族を養うこともできへんからな。5時前に子どもを迎えに行かなあかんけど、それでええんや。失礼やけど聞いてもええかな、税金はどれくらい払ってるん?こういう施設のために高い税金を払うのは嫌やないん?
そうやな、わしは収入の37%ぐらいを税金で払ってるけど、本当に喜んでやってるわ。だってこれのおかげで幼稚園があって、病院もあって、必要なものすべてが提供されてるからな。
それがデンマーク式なんやな?
そうや。みんなで助け合って、誰もが幼稚園に行ける可能性を持てるようにしてるんや。お金があんまりない家庭もあるやろ。でもわしらが税金を払うことで、そういう家庭でも安くなったり割引があったりするんや。
中には全く無料で保育所に行ける家庭もあるんやで。
園長のマリアンヌ・クリステンセンさんは、幼稚園が子どもたちに探索を奨励し、協力という重要なスキルを学ばせてるって言うてはるわ。
大人が子どもたちのために1日中用意してる活動があるんやで。今日はええ天気やから外におるけど、中に入って切ったり塗ったり遊んだりもできるし、中にはあらゆる種類のおもちゃもあるんや。
子どもたちの中に、外にいるのが苦手な子はおらへんの?
全然おらへんよ。むしろ親の方が問題やねん。子どもたちが隠れてて見えへんとか、寒いとか濡れてるとか思うてるけど、全然問題ないんや。
子どもたちが外にいつもおることで、どんなメリットがあるん?
経験やな。味わったり感じたりして、社会的な活動や技能がめっちゃ上達するんや。動き回って遊びに入らなあかんからな。「一緒に遊んでもええ?」とか「ダメ?」とかな。
つまり、協力することを学んでるってことやな?
そうや。これがデンマーク式やからな。
デンマーク式っていうのは、子どもが遊ぶことにすごく価値があるってことなんや。
幼稚園は遊びと教育における協力の基礎を作るけど、それが強化されるのが15歳のときや。多くの若者がデンマークの素晴らしい発明品、エフタースコーラで家を離れて1年過ごすんや。
まだ基本的な学科は勉強するけど、本当に好きなことも学ぶんや。このエフタースコーラは、ダイビング、水泳、セーリングを専門にしてるんや。今日は休日やけど、普通は170人の15歳の子がデンマーク中から集まって、一緒に学び、生活し、料理し、ダイビングしてるんや。校長のヤニク・マーシャルさんは、エフタースコーラは単に学業成績を上げるだけじゃないって言うてはるわ。
わしは、大学に行くとか仕事に就くとかいうプレッシャーを少し減らして、テンポを落とすことが大事やと思うんや。今の15歳、16歳の子らには、そういうのが多すぎるんちゃうかな。この年齢では、お互いを見つめ合うだけやなくて、自分の内面も見つめて、「自分は誰なんや?」「人生で何がしたいんや?」って考えることが大切やと思うんや。
あんたが、わしが生きてきたのとは違う人生を生きてるのが見えるわ。それは面白いな。もっと教えてくれへんか。
そうやな、これが全体としてのエフタースコーラなんや。生徒らは家事を分担して、15歳の子の多くにとっては初めて家を離れて暮らすことになるんや。食堂では家族みたいに座るんや。
なるほどな。170人全員じゃなくて、もっと扱いやすい人数になるわけやな。それで、各家族には教師がおって、その子らのメンターというか、家庭との一番近い関係になるんやな。
そうや。これはめっちゃ重要な役割なんや。だって人生には時々痛みもあるからな。
ここに来る若者らは、協力して、コミュニティを作って、積極的な市民になることを学んでるんやな。
わしらは幸せやと思うけど、同時にすごく自分中心的でもあるんや。だからこの1年を使って、今はみんな一つの仲間の一部やってことを示したいんや。これが仲間の強さなんや。与えたり受け取ったりして、今は人生の良い時期にあって肩幅が広い人はもっと多くコミュニティに与えるんや。
人生にはアップダウンがあるし、この1年にもアップダウンがあるんや。これもエフタースコーラの大きな価値の一つやと思うわ。
ほんまに素晴らしいな。でも、自分の興味や自分自身を探求する機会は、15歳のエフタースコーラで終わるわけやないんや。18歳から99歳までのデンマーク人は、フォルケホイスコーレ(国民高等学校)にも通えるんやで。
これらの寄宿制の学習センターは、デンマークの思想家ニコライ・グルントヴィの影響を受けてて、視野を広げるのに役立つんや。特に高校と大学の間の1年間にな。クラベスホルム・ホールスコーラの校長のキャロライン・スピールド・ホーグスブローさんは、普通の教職員じゃなくて、情熱的な実践者を採用してるって説明しとったわ。
うちらは試験をしたり、成績をつけたりするのは禁止されてるんや。だから、誰にも管理されへん方法で教えられるっていう、めっちゃユニークな機会があるんやで。まあ、もちろんある程度の管理はあるけどな。一定の時間数は教えなあかんし、学校に全く管理がないってわけやないんや。
でも、カリキュラムや試験、証明書のある学校であってはいけないっていうのが、この学校の明確な主張なんや。わしの年代の人に聞いたら、エフタースコーラや高等学校で過ごした1年が人生で一番良かったって言うやろな。だからこそ、これは一生持ち続けるもんなんや。
クラベスホルムは、500年の歴史がある建物の中にある現代アート中心の学校で、教師も寄宿してて、その役割は励ましたりインスピレーションを与えたりすることなんや。キルステン・パルズ先生は、国際的なビジュアルアートのキャリアを経て、ここにおるんや。
わしは教師としての訓練は受けてへんのや。ビジュアルアーティストとしての訓練を受けて、ビジュアルアーティストとして働いてるんや。これもこういう学校やからこそ可能なことで、教師としての訓練を受けずにここで働けるんや。
でも、わしらはアートに対する知識と熱意と情熱を通してここに来てるんやで。
わしはオスロのノルウェー出身やけど、もう二つの国の教育システムの大きな違いが分かるわ。ここでは、先生のためっていうよりも、自分のためにやるんやからな。だから、もっとスキルが身につくし、どのスタジオやワークショップでも、みんなすごくやる気があるって感じるんや。
だって自分のためやし、ただ成績をつけられたり、先生が来て「ああ、そうじゃない」って言うんじゃなくて、ある意味ガイドしてくれるから、ずっと多くのことを学べるんや。
デンマークでは、高校に行くのは普通やと思うわ。わしは21歳で、以前は普通の高校に行って、2年間のギャップイヤーを取ったんや。
それで、アートや建築をちょっとやってみたいと思って、この学校を見つけたんや。
生徒は費用の半分を払うんやけど、デンマーク政府はこの種の学校をすごく信じてるから、デンマークのホイスコーレに補助金を出してるんや。わしらは、良い市民を作るっていう大きなプロジェクトやと信じてるからな。
だから、この半年間で一緒に暮らして、お互いに責任を持って、集団の一員になって、この個人的な成長をしていくことが、すごく価値があるって、デンマーク政府が決めたんや。だからこそ、この種の学校にお金を出してるんやで。
もちろん、大学もデンマークの教育で重要な役割を果たしてるわ。授業料は無料で、学生はよく追加の生活支援費用も受け取れるんや。これはフレックス・セキュリティの一部で、これはデンマーク独自の福祉国家の考え方で、政府支出の3分の1以上を占めてるんや。デンマーク人は平均して収入の40%ぐらいを税金で払ってるわ。
ほな、彼らは何を得てるんやろ?無料の医療ってのは普通の福祉国家みたいに聞こえるかもしれんけど、フレックス・セキュリティは違うんや。子どもが病気のときに親が1日有給で休めるとか、小さなことがあるんや。それに大きなこともあって、デンマークの年金は本当に生活できる額なんや。先進国の中で最悪なんかじゃないんや。それに失業給付は給料に連動してるんや。これがセキュリティの部分やな。
でも珍しいことに、デンマークではレイオフされるのも比較的簡単なんや。これがフレキシビリティの部分やな。ここのロスキレ大学のヨクフィスト教授は、デンマークの福祉政策の専門家やねん。
うちらは柔軟な労働市場を持ってて、雇用主が人を解雇するのは比較的簡単なんや。これがゼロ時間契約がない理由の一つやな。
雇用主は労働力が必要なときに人を雇えるし、必要なくなったら解雇できるんや。
転職率が高いから、経済はうまく機能してるんや。でも、それは雇用主や失業者の肩に乗っかってるんじゃなくて、失業給付金やら再就職を助けるあらゆる施策やらを集団的に資金提供する社会全体が担ってるんや。
これがうちらの契約なんや。特定の仕事に就く権利はないけど、仕事に就く権利はあるんや。仕事がなかったら、失業給付金をもらえるし、積極的な労働政策やらその他の施策で、仕事に戻れるように努力するんや。それがデンマーク人を幸せにしてる理由の一つかもしれんな。セキュリティがあるってことや。
ああ、そういう風に考えたことなかったわ。でも、わしの友達の画家は、年に2回から4回仕事を失うんや。でも、めっちゃ幸せな男やで。次の仕事が見つかるって分かってるし、二つの仕事の間でも失業給付金をもらえるって知ってるからな。だから、収入について不安がないんや。
金融機関も彼が住宅ローンを払えるって確信してるから、喜んで家を維持させてくれるんや。
ほな、そのお金はどこから来てるんや?そんな寛大な福祉システムを支える経済を何が動かしてるんや?しかも成長してるんやで。デンマークは今や小さな国で、天然資源もそれほど多くないんや。
こんな長船が昔、バイキング時代に海を渡って、スコットランドやイングランド、アイルランドの人々の心に恐怖を植え付けたって考えるのは信じられへんな。でも、長船の時代は過ぎ去ったけど、デンマークによる世界の海の支配は衰えずに続いてるんや。メルスクは世界最大級の海運会社の一つやねん。
70年代に、デンマーク政府が飢えた福祉システムを養わなあかんかったちょうどそのとき、メルスクは新しいものに多角化したんや。ヘニング・モーガンさんはメルスク社の歴史家やわ。
うちらはエネルギー生産にも進出して、デンマーク地下コンソーシアムっていう企業連合を作ったんや。そこで1972年にデンマーク初の石油を生産したんやで。
これ、ノルウェーやスコットランドより先やったんやな。
そうや。うちらは静かに一番乗りしたんや。それがメルスク・オイルっていう会社になって、メルスク・ドリリング、オフショア・サービス、メルスク・サプライ・サービスっていう請負業者にも発展したんや。そうやって1972年以降、沖合の石油・ガス生産に関わるようになって、それがメルスク社の重要な柱になったんやで。
グリーン転換のリーダーの国に座ってて、まだ石油ビジネスがようけあるっていうのは皮肉やな。
確かにうちらは石油ビジネスをようけやってたわ。でも今では石油・ガス生産の活動をほとんど全部売却してしもたんや。グリーン転換への対応として、メルスク・サプライ・サービスはまだAPMOLICグループの一部やけど、オフショアサービスから風力発電産業のサービスに移行しつつあるんや。
あんたらは税金を払ってるし、デンマークが福祉国家を本格的に展開し始めた時期にも税金を払ってたんやな。
そうや。1970年代から90年代にかけて、うちらはデンマーク政府と石油・ガス生産の契約を結んでて、めっちゃ税金を払ってたんや。それが福祉国家の一部を支えたかって?間違いなくそうやな。
今日のうちらの役割は、おそらく他の企業に取って代わられてるやろな。だってメルスクの活動のほとんどは世界中で行われてるからな。
ここはA.P.モラーさんのオフィスや。うちの創業者やな。1965年に亡くなったんやけど、その時にこのオフィスは閉鎖されて撤去されたんや。それで、うちの博物館の一部として、ここに再現されたんやで。
あんたらの創業者には素晴らしい言葉があったんやな。その一つが「能力があれば、責任がある」やった。これはどういう意味なん?
デンマーク語で「ヌッティ・ヴィルクスミル」っていうんやけど、社会にポジティブな影響を与えるっていう意味やねん。A.P.モラーや息子のマース・マッキニムローラーの言葉を見てみると、これが根底にあるのが分かるわ。
うちらは社会にポジティブな影響を与えたいんや。そして能力があれば、その能力を使って行動する責任もあるんやって。
小さな国のわりに、デンマークにはでかい企業がようけあるな。メルスクは世界中で知られてるけど、レゴほど有名じゃないかもしれへんな。そのパイオニア的なプラスチックのおもちゃは1958年に発売されて、それ以来4000億個も作られてるんや。
つまり、地球上の一人一人に50個のブロックがあるってことやな。それに、1970年代にデンマークの鍛冶屋さんらが作った会社、ヴェスタスがなかったら、風力産業も今とは違ってたやろな。今日では、世界の風力タービンの5分の1を生産してて、デンマークのグリーンな国際イメージの最前線におるんや。
デンマーク製のタービンが国際的なエネルギー革命を推進してるけど、その基盤となるインフラも追いつかなあかんのや。そこでデンマークの専門学校が出番やねん。スキヴァ・カレッジは、ヨーロッパ中から学生を受け入れて、電力配送と海底ケーブルの訓練をしてるんや。教育長のクルト・リンドホルムさんは、常に最新の業界ニーズに合わせて適応してるって言うてはるわ。
毎年、知識と能力に関して何が求められてるかを調整してるんや。将来に向けてどんな学生や知識を生み出すかをな。うちの学生の80から90パーセントは、なんらかの形でグリーン転換と未来に関わってるんやで。
わしはハルから来たんや。キングストン・アポン・ハルってとこやな。ここに来た理由は、スワイアっていう再生可能エネルギーサービス会社の研修生やからなんや。ここで666kVの資格を取るための訓練を受けてるんやで。
うちにはポーランドやイギリス、ポルトガルから来た人もおるし、商業的な訓練も受けてるんや。だってグリーン転換は世界的なもんやからな。うちは特定のスキルや特定の訓練を提供してて、それが世界中で必要とされてるんや。だから、みんなここに来るんやで。
うちらは小さな国やけど、エンジニアリングが得意で、行動力もあるってことは分かってるんや。知識を行動に変えられるから、知識も製品も売れるんやな。単にモノや部品を作るだけじゃなくて、知識みたいな輸出できるものも作らなあかんって気づいたんやと思うわ。
ほな、本土を離れて、サムソーっていう小さな島に向かうで。
普通、大きな進歩や先駆者、やり手は全部都市にいると思われてるけど、この小さな島はそれとは違うことを証明してるんやな。ここはCOP26サミットで国連の気候チャンピオンやったし、デンマークやヨーロッパの他の地域より先にネットゼロを達成しそうなんや。
ユトランド半島の沖合9マイルにあるサムソー島は、人口4000人以下で、アラン島の3分の1以下の大きさやねん。低地の農業コミュニティで、人気の休暇先でもあるんやけど、スコットランドの島々とそんなに変わらへんな。
この金属は、ほとんどのスコットランドの島にはないシステムの一部なんや。これは大きな海底コネクターで、サムソーの余剰エネルギーをデンマーク本土に売るためのもんなんや。1960年にケーブルが敷設された時とは、まさに逆の方向やな。
農業がこの島の経済の中心で、小さな農場が穀物や野菜を生産してるんや。典型的なデンマーク式で、観光客が払ってくれるって信じてるんやな。
1998年に、サムソー市議会がデンマーク政府のコンペに勝って、グリーン転換のモデルコミュニティになったんや。今じゃエネルギーアカデミーがスキルと知識を生み出して、それを広めてるんや。
その推進者が、野菜農家からエネルギーの達人になったソーレン・ヘルマンセンさんや。変化をただの変化のためには受け入れへん賢い島民を説得するのに必要な人間性を持ってはるんや。
グリーンになるっていう全体的な概念は、わしの見方では、実際にうちらが目指してるもんじゃないんや。うちらにとっては、健全な社会をどう維持するかっていうことやと思うんや。
それが、おそらく人々が変化を受け入れる最も重要な理由やと思うわ。もしより良いものに変えられるんやったら、そしてその「より良い」っていうのをわしが決めるんやなくて。それは環境でも、エネルギーでも、風力タービンでもないんや。でも風力タービンは、あんたが変えたいものや、社会的な概念の中でより良い生活の質を作りたいところを達成するための道具になり得るんやな。
わしらはそういう繋がり、社会の接着剤みたいなもんを探り当てようとしてきたんやと思うわ。それがどこで意味を持つんかってな。そしたら風力タービンが一つの答えやったんや。輸入石油の代わりにバイオマスを使うのも別の答えやった。つまり、毎回評価せなあかんかったんや。すべての条件を満たすんかってな。より安いんか?より良いんか?地元のもんか?仕事を生み出すんか?これらすべてが、向こう側にあった答えやったんや。
わしはこれがうちらのレシピの基本やと思うわ。ようけの人が聞くんや。「モデルはあるんか?」「これを大規模にできるんか?」って。でもわしはそうは思わへんな。大規模化はできへんけど、インスピレーションにはなるんやで。
デンマークで風力発電は別に新しいもんやないけど、島民に新世代のタワーを景観に受け入れてもらうには、慎重な交渉が必要やったんや。
ヨルゲンみたいな農家は風力発電でお金が入るのが分かってたけど、それだけじゃ近所の人全員を納得させられへんかったんや。
ここでライセンスをもらえたのは、ここにええ風があるからやな。教会までの距離が長いのも重要やな。
あー、なるほど。ここに教会があったら問題になるんやな。
そうそう、それはもう絶望的やわ。
農家と近所の人との対立を避けるために、農家と協定を結んだんや。農家が協同組合に土地を貸すっていう協定やな。その協同組合はもう存在してて、二基のタービンを持てることになったんや。何基になるかは分からんかったけど、みんなに署名して来てもらって、「風力タービンの株を買いたい」って言ってもらったんや。
黙らせるためやなくて、共同所有者になる機会を与えるためやったんや。だって共同所有すると、なんでそこにあるかをもっと意識するようになるからな。一つには懐に入るお金やけど、それだけやなくて、物理的にも精神的にもこのプロセスに関わることになるんや。ただの数人の農家やないんやって。
そしたら2週間で、50人の農家が田舎に風力タービンを建てたいって言うてきたんや。
えー、ほんま?
そうや。だってめちゃくちゃええビジネスやったからな。みんなが分かったんや。6、7年で元が取れるって。
一度島民が利益を共有すると、ヨルゲンが新しく風力ビジネスで帝国を築いても、あんまり恨む人はおらへんかったんやな。
わしには農業とエネルギーがあって、今は高齢者向けに20戸のアパートも建てたんや。だから今は3本の足があるんや。
3本の足か。なるほどな。農業だけの1本やないんやな。
そうや。農業の足とエネルギーの足と建設の足やな。
なかなかの足の数やな。
ソーレンの計画には、島の村や町をもっとエネルギー効率のええものにすることも含まれてたんや。それまでは主に石油の輸入に頼ってたけど、自分らの畑には別の潜在的な燃料が溢れてたし、差し迫ったエネルギー危機もあったんや。
それで農家と話し合って交渉したんや。彼らは石油価格を知ってたから、わしらは言うたんや。「わらを20%安く提供できるか?」って。そしたら、ほとんどの人に地域暖房に接続してもらえると思うて。だってこれで年間のエネルギー代が安くなるからな。
つまり、みんなにとってウィンウィンなんや。家主はより安い暖房を手に入れられる。農家は、今まで畑で堆肥にしてただけのわらから収入を得られる。それに、今までなかった仕事もできる。配管用の溝を掘ったり、家を接続したり、石油ボイラーを取り外してヒートポンプを設置したりとかな。
そういう風に話したら、人々にこれに接続する理由をようけ与えられて、「ああ、これはまさに望んでたもんや」って言ってもらえたんや。
一石二鳥どころやないな。舗装を剥がしたついでに、一気にいろんなもんを地下に埋めたんやろ?
そうや。変化について考えるとき、ようけの人が「でもこの問題もあるし、あの問題もあるし」って言うて、問題が積み重なって身動きが取れんようになることがあるやろ。その代わりに、うちらはそれを逆転させて、一度にどれだけの問題を解決できるかって考えるんや。
だから道路を掘り返すときは、水道局の人らに「この古くてさびた鉄パイプ、交換するええ機会やないか?」って話すんや。「ほな、うちらの分は払うわ」って言うてくれるしな。電気の人らにも「この空中の電線、嵐や氷で落ちたり腐食したりして、メンテナンス代がどんどん高くなってるやん。地下に埋めへん?」って。ブロードバンドとかいろんなもんも一緒にできるんや。
みんなに話して、これに参加して共同出資してもらったんや。そしたら全部が安くなったんやで。
あんたらは3700人で一つの議会があるんやな。
そうや。
それがうまくいってるんやな。スコットランドやったら、そんな小さいとこはないわ。
ほんまか。時々、もっと大きな自治体の方がええって言う人もおるんや。小さな場所やから小さなことでも大きな問題になることがあるからな。でも長い目で見れば、小さな場所には利点がようけあると思うわ。直接コミュニケーションが取れるからな。
まあ、なんでもええところと悪いところがあるもんやけどな。でも確かに、小さな環境の方が、誰と話せばええか分かってるから、決定を下しやすいんやろな。
その非常にローカルな決定が、ヨルゲンを幸せな農家にしたんやな。島民もな。今では80%が地域暖房を使ってて、イギリスの請求書が3倍になった生活費危機のときも、彼らの請求書は減ったんや。
サムソーには4つの地域暖房ボイラープラントがあるんや。地元の農場からのわら梱が、ゆっくりと動くコンベアベルトに載せられて、高効率バーナーに送り込まれるんや。炉は水を温めて、その水が街路のパイプを通って地元の家を暖める。灰は畑に戻されるんや。
ここにはようけのわら梱が見えるな。ちょっとしたわら小屋みたいやな。向こう側に見えるやつや。
これは単なる干し草倉庫やないで。エネルギーの銀行預金みたいなもんやな。
ええとこは、材料がほぼ全部地元のもんってことやな。この施設は5、6軒の農家と契約してて、どの農家もここから3〜5キロ以内にあるんや。
他の施設でも同じやな。炭素排出量を削減したのに、長距離の輸送や大型トラックや農業機械で道路を長距離走らせるのに使うってことはないんや。
もう一つのええところは、何か問題が起きても、機械が十分シンプルやから地元の人が修理できるってことや。これはハイテクやないんや。
そうや、配管工を呼んだら、ほとんど全部自分の道具と能力で直せるんや。
唯一の変動要因は天気やな。今年は季節外れの雨で収穫が遅れてるんや。だからわしがサムソーを離れるときも、農家はまだ畑におったわ。
グリーンになることで、仕事や安全、より安いエネルギーがもたらされたのは明らかやな。それが島全体をすごく幸せにしたんや。
コペンハーゲンに戻って、デンマーク民主主義の中心に向かってるとこや。この進歩的な政策が、50年もの間、政権が変わっても生き残ってきたのはなんでやろ?
テレビドラマの「ボーゲン」は、デンマークの連立政治を世界中の人々の居間に届けたんや。女性首相がまさにこの回廊で取引をまとめる姿を見せてな。
これはデンマークの比例代表制の議会が交渉を要求するからなんや。ウェストミンスター方式の小選挙区制や勝者総取り方式とは違うんやで。
ボーゲンのドラマチックな撮影場所は、実際の政府の所在地からは程遠いんや。その仕事は川の向こう側の、あまり目立たないけどより実用的な現代的な建物で行われてるんやで。外務省みたいなとこやな。
ダン・ヨルゲンセンさんは気候・エネルギー・公益事業大臣やわ。
ほとんどの人が「ボーゲン」を見て、ああ、素晴らしい、印象的やけど、ドラマやな、って思うてるやろ。でも実際そうなんやで。あんたらの議会や政府は必ず多くの政党間の連立になるからな。それが普通なんや。だって比例代表制の議会やからな。
そうやな。連立政権やけど、しばしば少数派政権になるんや。つまり、政権にはおるけど実際には過半数を持ってへんから、他の政党の支持に頼らなあかんのや。これのせいで、政党が自分たちの議題だけを追求するのはほぼ不可能になるんや。
それに、多数派を持ってる場合でも、例えば今は多数派政権やけど、実際にはその多数派をあんまり使わへんのや。ほとんどいつも他の政党も巻き込もうとするんや。いくつか理由があってな。
一つは、もし政権が変わっても、うちらが下した決定は確実に維持されるってことやな。これは重要な理由や。でも実際には、幅広い多数派や幅広い妥協そのものがええもんやと見なされるのが、デンマークの政治文化の一部なんやで。
ほとんどのデンマーク人に聞いたら、デンマークにはようけの政治的な違いがあるって言うやろな。実際、一部の問題ではそうなんやけどな。でも他のほとんどの国と比べたら、デンマーク議会で議論してることの違いはかなり小さいもんなんや。
例えば、うちらには税金で賄われる福祉国家があるけど、デンマーク議会にはこれを根本的に変えたいと思ってる政党は実際にはないんや。
ここにおる間に、本当に小さなことでも、みんながすごくリラックスしてて、すごく協調的で、あんまり対立がないのが見て取れたわ。
それは国連の幸福度指数にも表れてるんやで。うちらはほと�ど常にその指数のトップにおるんや。そして、また理想主義的な理由で、国民を幸せにしたいと思うやろ。でも合理的な理由でもあるんや。だって、幸せな国は病気も少ないし、生産性も高いし、対立も少ないからな。
それについてはええことばっかり言えるんや。もちろん、これは全部循環してるんやけどな。だって、幸せやなくて、社会に対する信頼や社会資本がなかったら、そんなに税金を払おうと思わへんし、そんなに税金を払わへんかったら、この福祉国家を維持できへんからな。
そしたら、全部が繋がってるってことが分かるやろ。
1970年代、大きな決断があったんや。石油危機、OPECの危機が起こって、世界中で石油やガスの価格が上がったんやけど、デンマークはその後、本当に異例なことをしたんやな。
そうや。他国のエネルギー源に依存するのはええアイデアやないって決めたんや。
基本的に、価格を上げて経済を傷つける決定を一方的にできる国からの石油に依存するんやなくて、代替案が必要やったんや。実際、そこから再生可能エネルギーの開発を始めたんや。
今考えると変な話やけど、その時は環境とは全然関係なかったんや。そんな緑の運動やなかったんや。でもすぐにそっちに発展していったんや。だってこれを実現させようとした、デンマーク社会の非常に活発な力の多くが、環境にも関心を持ってたからな。だから手を携えて進んでいったんやけど、実際はそういう風に始まったんや。
つまり、本当は国の独立を守ることが目的やったんやな?
そうや。とても高いお金で他国からエネルギーを買うんじゃなくて、それによって他国に依存することになるんやなくて、自分たちでエネルギーを作る方がずっとええってことやったんや。
でも、デンマークでは石油やガスの価格を高く保つことも決めたし、車の輸入コストもめちゃくちゃ高くしたんやな。そんな政党に誰が投票するんや?
数十年前に決めたんや。福祉国家は高くつくから、たくさんの税収が必要やって。だから、税金をかけるべきもんに税金をかけるのがええアイデアやないかって。だってそうすれば制限したいもんも制限できるからな。そしたら二つのことが得られる。税金からの収入も得られるし、汚染も減らせるんや。
まあ、車に税金をかけるのが人気あるって言うたら嘘になるな。人気はないんや。でも一方で、ほとんどのデンマーク人はそれを受け入れてると思うわ。なぜかって、一つは環境や気候のためにせなあかんって分かってるからや。それに、車に課税せんかったら、お金をどっかから調達せなあかんから、別のもんに課税せなあかんってことも分かってるからな。
気候の問題に戻るけど、デンマークは今でも、いや今こそグリーン転換の最前線におるんやな。実際にグラスゴーのCOP26サミットで「石油・ガスを超えて」っていうグループを作ったんやろ?あんたらの当面の目標は何で、それが達成できると思う?
うちらは石油・ガスの生産を止めることを決めたんや。その決定をしたとき、うちらはEUで最大の石油生産国やったんや。だからその時点ですでにようけの再生可能エネルギーを持ってたけど、まだ石油とガスもあったんや。
今でも石油とガスはあるんやけどな。でも気候変動と戦いたいなら、再生可能エネルギーでリードするだけじゃ足りへんって決めたんや。つまり、エネルギー問題の需要側だけやなくて、供給側でもリーダーになる必要があったんや。
将来的にデンマークが100%グリーンになっても、まだ石油とガスを採掘して他国に売り続けるっていうのは、ちょっとパラドックスになるやろ。問題を輸出するだけになってまうからな。それはええアイデアやないと思ってん。
だから、将来のすべてのライセンス入札を止めて、2050年に終了する期限を設定したんや。これを実際に起こすには、もちろん代替案が必要やな。つまり、イノベーションを刺激して、再生可能エネルギーでもっと野心的になる必要があったんや。そして、それが今やってることなんや。
でも、人生は完璧やないな。デンマークの難民政策は国際的に批判されてるし、比例代表制の議会のせいで極右政党も代表されてて、めっちゃ目立つんや。それに、統合を助けるために非西洋系の人の割合を特定の地域で制限する、物議を醸す新しい法律もあるんや。
でも、デンマークはイギリスが直面してるのと同じような問題がようけあるけど、本能的な連帯感を持ってアプローチする傾向があるんや。
オリー・ダールさんは地方新聞の編集者で、コペンハーゲンの政治記者やったんや。
仕事を辞められる年齢が上がってるんや。人々にもうちょっと長く働いてほしいからな。退職年齢のことやな。
そうや、退職年齢が少しずつ上がってるんや。今は67歳やけど、数年後には69歳になるかもしれへん。
でも、うちらが持ってる福祉システム、社会システムのためのお金を確保するには、もしかしたら頑張って働かなあかんってことは受け入れてるんや。みんなが良い人生を送れる可能性を確保するためにな。
今一番の問題は、今空いてる仕事を埋めるのに十分な人がおらへんことやな。つまり、福祉システムも教育システムも民間企業も、今はもっとスタッフが必要なんや。
ここの地方でもようけのとこでそうやな。だから、例えばウクライナからの難民がすごく簡単に仕事を見つけられたのは嬉しいことやし、それを歓迎してるんや。でも、若い人らが学校を卒業したら、例えばコペンハーゲンに引っ越すんやなくて、もっとここに残ってほしいんや。
ここにある仕事を埋めるために、ここに若者が必要なんや。
スコットランドのどの新聞でも見つかりそうな問題やな。実際、オラーはスコットランドによく訪れてて、デンマークとの強い類似点を感じてはるんや。
いろんな面で、スコットランドと北欧諸国はすごく似てると思うんや。人生や人生における優先順位でな。だからこの協力関係が、特にスコットランドと北欧諸国の間でもっと強くなればええと思うわ。
デンマークは今や小さいけど完璧な国やな。北欧諸国について驚くべきことは、ようけの小さな国が協力し合ってるのに、誰も同じ通貨を使うべきやとは思ってへんことやな。みんな隣国とは違う通貨を持ってるし、「スカンジナビア合衆国」みたいなもんにはならへんのやな。
そうやな。そうなることは絶対にないやろ?一つの国家にはな。
ないない、絶対にないわ。うちらはスカンジナビア諸国としての独立を保ちたいんや。それでうまくいってるんや。うちらは協力し合って、国々や人々が自分たちの方法で、自分たちの強みを発揮できるように花開かせるんや。それでも強い協力関係を保ってるんや。だって世界に課題があるときはそれが必要やからな。
わしが見る限り、ヨーロッパはまとまるべきやと思うわ。北欧諸国、そしてもしかしたらスコットランドもその協力の一部になれるかもしれへんな。つまり、まとまって協力し合うってことや。そして、もちろんスコットランドがいつかヨーロッパに戻ってくるのを見たいと思ってるわ。
発見の旅の最後にもう一つ訪れたいところがあるんや。コペンハーゲンから東に向かって、デンマークと最も近い外国の隣国であるスウェーデンの間の移動のしやすさを試してみるつもりや。
結果は、めっちゃ簡単やったわ。デンマークとスウェーデンを結ぶ有名なエーレスンド橋や。異なるシステム、異なる言語、異なる通貨を持つ二つの国の間の、摩擦のない国境やな。
これが国境を越えた取引の邪魔になったりせえへんのか?
カードで支払うなら全然問題ないわ。
今どっちの国におるん?
スウェーデンやな。デンマークのすぐ近くやのに、国境がないんや。
ここで支払うん?
うん、あそこや。領収書いる?
はい、ありがとう。
こんな感じやな。
これがデンマークや。グリーンエネルギーと幸せな人々で知られてるけど、一番の功績は、わしの旅を通して、そしてすべてのデンマーク人の人生を通して織り込まれてる協力やな。
幼稚園やユニークなエフタースコーラに組み込まれてるし、コミュニティに電力を供給する地域暖房にも、50年間反石油戦略を守り続けられる連立議会にも組み込まれてるんや。
国のおかげで、暖房システムでスキーをしたり、ドックで泳いだり、15歳で親元を離れたりできるんや。デンマークはリラックスしてて、協力的で、対立的なイギリスを悩ませるストレスなしに遊び心があるんや。
幸せは美しさと同じで、表面的なもんやないんや。デンマーク人が笑ってるのも不思議やないな。

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