優しさの取り扱いを間違えると周りを不幸にする、アニメ赤毛のアンのマシュウお爺さんから学べる事

赤毛のアン、ご存じでしょうか。
耳にした事ぐらいはあるのではないかと思います。
そんな事を言う私もつい最近視聴したばかりなわけですが…。

軽く内容を説明します。
ある老兄妹カスバート家の元で、アンが生活していく中での出来事を綴る物語、という感じです。

厳しくもアン想いのリアリストな教育者、妹マリラ。
一方、気が優しい兄のマシュウお爺さんは女性が苦手にもかかわらず、始終アンの理解者でいます。
時に、アンには質素な服でいいと言うマリラに対し、年頃なのだから皆と同じような流行の服を、と提言したり、時に、勉強を優先させるべきというマリラに対し、物語を作る会合や朗読の練習に対し理解を示したり様々な場面でその優しい気質からアンの味方であるのです。

しかし、この優しい気質が後に仇となります。

一応ここからはネタバレ情報含みます。

アニメシリーズ後半で、カスバート家はある噂を耳にします。
資産を預けていた銀行が倒産の危機にあるらしいのです。
銀行が潰れるとお金を下ろすことは叶わなくなります。

そしてもうすでに噂を聞きつけた人達がお金を下ろしに殺到しているようなのです。

カスバート家とその銀行はどうも親世代からの繋がりと恩があるようで、資産を分散させず、その銀行に全てを預けていました。
そうする事を信頼の証としていたのです。

噂を確認する為にマシュウお爺さんは信頼できる人物に相談しに行きます。
そして、どうやら倒産の話は対立派閥が起こした噂であるという事を教えてもらいます。
マシュウは信頼のおける人物からの話なのだからと安心をします。

マシュウが帰宅し家族にその報告をした際、妹マリラは、半分の金額でも引き出してくれればいいのに、と愚痴をこぼしていました。

結果として銀行は潰れてしまいます。
知らせを受けてマシュウは健康を損ないます。預けていた資産もどうやら失ってしまいました。

この時のマシュウお爺さんの優しさは、一体誰の為のものだったのでしょう。
一番に考えるべきは、妹マリラとアンの為に資産を守る事だったと私は思うのです。
それがこの場合の優しさとその使い方だと思います。


銀行に義理立てする必要はあったのかもしれません。
ですが、既に引き落としに殺到する人達がいるらしい事から、それが事実であれば、マシュウと同じ状況の預け主がいたとしても、それで経営を踏ん張れるかというとたかが知れているはずで、持ちこたえる事は厳しいはずです。
義理立てし、その時の恩義が後年返ってくることはあるのかもしれません、ですがその間の生活はどうなるのでしょう。

そうではなく噂があくまで噂だとしたら、自身が引き落としたことで銀行が潰れる事には繋がらないのですから、一旦引き落としてしまってもいいはずです。

それに、信頼のおける人物から安心する言葉を貰ったとして、最悪の事態の時に果たしてその人は責任をとってくれるのでしょうか。

優しさとは、リスクを顧みず自身を投げ出して、思考を放棄する事ではないと思うのです。
自他共になるべく迷惑をかけず、消耗を抑え、また、責任を伴うものであると、私は考えます。

(場合によってはまた変わるのだと思いますし、あくまでも理想論かもしれません)

少し話を変えます。そして突然ですが、まずは自分を大切にしてほしい、それは自他の為にもなるという話をします。
なので、ここで5vs5戦闘系団体戦のゲームで例えてみます(最近その類のゲームは流行っていますので想像しやすいかと思います)
チームでの戦闘中に、もしもそのメンバーの中の一人が、自己を顧みずに誰かの助けに入ったとしたらどうでしょうか。

助けられた側が奇跡的に無傷だったとしても、助けに入った側が無防備にダメージを負っていれば、助けなかった場合と比べ、集団のダメージ量はさほど変わらず、変わらずと言っても状況的には等しい訳ではなくむしろマイナスで、何故かというと全体のトータルの被ダメージ量が助けに入らなかった場合の時とさほど変化はなくとも、一人分その行動に時間を割いているし、その分、他の有益になりうる行動をとらない事となります(行動前後で総ダメージ量に変化が無いのなら、メンバーが瞬間的に一人分減ったに等しい)なので損失になると思うのです。
勿論ゲームの場合は相手のダメージ量によっても話は変わってくるのですが、今は省きます。

自己を顧みず行動を起こす事が許される状況があるとするならば、その場面で攻められる状況が一転し良くなるだとか、回復のコストや時間も問題ではない時でしょうか…。

そういうここぞ、という場面か、かなり余裕のあるシーンでリソースの消費もいとわない時の限定的な立ち回り方だと思うので、自己を顧みない立ち回りを常日頃の行動規範にしてしまうと自他の消耗が常となり辛い事になるのだと思います。

味方に敵の注目が集まっている隙をついて、隠れながら相手を攻撃したり、自己を顧みないとしても、味方と同じぐらいの注目度を集め攻撃の先を分散させるだとか、なるべく損を抑え得を増やすという当たり前で単純なことが重要だと思うのですが、己が身を投げ出すべきと、色々なフィクション作品や世にある耳触りの良い美辞麗句の影響により、その基本を見失わされてしまう事はよくある事なのだと思います。(私自身もそういう傾向はありました)


話を戻します。
私はマシュウという人物の優しさの質が好きでした。
彼は女性が苦手であるにも関わらず、アンに関しては勇気をもって行動する場面もあり、常に、アンに備わる美徳、長所、存在を認め、本人ですら見失いかけたり、たとえ成長の中でアンが幼少期に有していた良さが表向きには表れなくなったとしても、その良さの存在を永久に確定させておくような、力強い愛情のようなものを感じました。

それだけに銀行の倒産騒動での姿勢に違和感を覚えたわけです。
優しさは、信頼があるというポーズをとるための保身ではなかったはず。
味方をする為のツールでもないはずです。
少なくとも、アンに対しての優しさはその様に見えました。
ただ作中では体調が万全でなく、判断に迷う混乱の中にあったので、仕方のなかった事なのではないかとも思います。

いや、ちょっと待った…
ここまで書いて思いましたが、もしかしたらあの対象の心を救い、まるでこれから人生を歩み出す足に靴を履かせるような優しさは、アン限定に発揮されたもので、その姿勢の方がマシュウにとってはイレギュラーだったのかもしれません。
視聴者はアンと共に居るマシュウしか知らないのですから。



もしもマシュウお爺さんに「あの選択は今になって思うと正直どうなのですか」と尋ねてみたら
相変わらずの穏やかな調子で「そうさのう…」とお馴染みの受け答えの後、意見を伝えてくれそうな、そんな姿が目に浮かびます。
(私の場合はその前に「あんた誰じゃ…」とでも言われるのがオチですが)

という訳で、優しさを行使する際の考え方についての話でした。


当文章が書かれた経緯につきましては下記の記事参照。
(このページの文章は公に向けた行動を促す為のものや何かへの批判などの類を目的として書かれたものではありません、よろしく願いいたします)
【記事は人を表す】介入しすぎると自分のものになってしまうという考え|八虎毛のニケ(フォロバ100%勇気〜🎵) (note.com)

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