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ニート

その頃、まだニートという言葉はなかったのではないかと思います。
しかし、20代当時から私は、まさしくこのニートでした。
通信制高校を卒業してからも、私は就職活動をすることが出来ず、家に閉じこもりがちでした。
母からも、「高校を卒業したら就職すると思ってたよ」と言われたりもしましたが、自分では、とても就職する自信がなく、アルバイトニュースを買う日々を続けていました。
しかし、そのアルバイト探しも、電話をかけることさえ出来ないことがほとんどでした。
やっとのことで電話をして面接を受け合格をもらったアルバイトも、自分から断ってしまうこともありました。

「高校を卒業したら就職すると思ってた」と言っていた母も、少しでも外へ、と、閉じこもる私に、せめて気分転換にウィンドウ・ショッピングでもしてきたら?と言うような状態でした。
まだ20代の頃は、ウィンドウ・ショッピングには行ける状態で、時々、母に勧められて外出をしていました。
が、なかなか頻繁には出かけられず、そのうちに、(自分はおかしいのではないか)と思うようになり、メンタルクリニックを探すようになりました。

最初にメンタルクリニックに行ったのが20代半ば。
とても高圧的な男性医師で、私が紙に書いていった文章を読むのに詰まると、「早く!続けて!」と怒ったようにせかされたのを覚えています。
そして、「このままでは将来ルンペンになるから薬で治す!」と言われ、
私は衝撃を受けました。
本当のことかもしれませんが、高圧的な態度など、それまで抱いていた精神科医、心療内科医のイメージとはかけ離れており、これ以上、その男性医師とは顔を合わせるのも嫌だと思い、2回でその病院には行かなくなりました。

その後、今のクリニックに出会うまで、5件ほどクリニックに行きましたが、「病気ではなく、持って生まれた性格だから治らない。」、「あなたちょっとおかしいのではないですか?」と言われたり、薬がどんどん増えて、一日中眠くて起きていられなくなったりして、どこも通い続けることが出来ませんでした。

その間にも、県の精神保健福祉センターにも行きましたが、当時、20代以上の受け皿がなかったのか、一度面談を受けただけで終わりました。
また、民間のひきこもり専門のカウンセリングを行っているというNPO団体の記事を新聞で読み、そこにも行きました。
自分の貯金で続けられるだけ受けたいと願い出たところ、「お母さんを連れてこられない?」と何度も言われ、結局カウンセリングを受け付けてもらえませんでした。
納得できず、後日、電話をしたのですが、
「あなたには払いきれないお金がかかる。本当は本人に金額のことを言ってはいけないんです。大体、本人から助けを求めてくるなんてことないんです!」と言われてしまいました。

私が自分の貯金で払うことにこだわったのは、その少し前に、母から「子供の頃からもう、親としてやれることはやってきた。これからは自分でやっていって。」と言われたからでした。
でも、数年前、その話を母としていたら、「そんなことを言った覚えはない。いつでも手助けするつもりでいたし、手助けしているつもりでいた」と言われ、母は覚えていませんでした。


#ひきこもり #ニート #中高年ひきこもり #ひきこもり当事者

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