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30代、壊れ始める。

20代後半から徒歩20分くらいの祖母の家に、買い物や家事などのお手伝いに行くようになりました。
それが、自分が生きていて良い唯一の意味のようにすがりながら、生きていたように思います。
しかし、30代前半で祖母と、祖母と一緒に暮らしていた叔母が亡くなり、私の生きる意味は無くなってしまいました。

そして、30代後半に入って、私は壊れ始めました。
実際には、もっと前から壊れていたのだと思いますが、より一層壊れ始めました。

細い私道を挟んだ前の貸家に越してきた奥さんに、白い目で見られているように感じるようになったのです。
私は、私の父親と同じように荒れ狂い、また恐れるようになりました。

きっかけは、朝のゴミ出しの時にその奥さんに出くわし、挨拶をしたら、とてもそっけなく、会釈して顔を背けられたことでした。
私の母には、とても愛想が良いので、その落差に初めは驚きました。
そして、その次に怒りが沸いてきました。
怒る筋合いではないと今冷静に考えると思えますが、その時はそう思えず、後から越してきて、ケンカを売られているように感じていました。
仕事をしていない、何をしているかわからない引きこもりでニートなんて、他人から見たら気持ち悪いし怖いのだと思います。
そういうことをはっきりと感じさせられるようになり、私はまたどんどん外出することが出来なくなりました。
そして、前のお宅から聞こえる大きな音、例えば車のドアを閉める音、網戸を閉める音などが、自分を攻撃しているように思えてしまうようになったのです。
私は大きな音を聞く度に、怒りが沸き、時にはカーテンを思いっきり閉めたり、自分の部屋の相手の家と面している窓の雨戸を閉めてしまったり、大きな音を立て返したりしました。
完全に自分が被害者だと思い込み、信じて疑いませんでした。
そして、大きな音がする時は、相手が自分に向けて故意に立てていると、自分の中では筋道が立ってしまうのです。
相手の家から「うるさい!」や「死ね!」「きゃははははは!」などの声が聞こえ、それも自分に対する声だと信じて疑いませんでした。
しかし、母に言っても、弟に言っても、それは私に言っているわけじゃないし、私に対して立てている音じゃないという答えでした。
私は、どうしてわかってもらえないのか、と苛立ちました。
それと同時に、私のせいで近所付き合いが悪い状況になったら・・・、私さえいなければ…、と思うようにもなりました。
ひきこもりでニートというだけでも迷惑をかけているのに、その上ご近所とトラブルを起こすなんて・・・、とも思い、それでも自分の怒りを抑えることが出来なくなることがしばしばで、また、相手の人たちに出くわすのが怖くて外出もできず、相手に攻撃されることを恐れて家の中でも音をたてないように、びくびくしながら過ごしていました。

自分ではどうして良いかわからず、5軒目のメンタルクリニックを探しました。
そこでは、母は「起立性調節障害」と聞き、私自身は「後天性発達障害」と聞きました。
その病院では、毎回何か話すたびに薬が増えていき、私は一日中眠くてたまらず起きていられなくなりました。それは、怒りを外に吐き出すことはなくなりましたが、それ以外のことがほとんどできなくなってしまうことだったので、途方に暮れましたが、眠りは苦しみからの逃げ道だったことも確かで、私は薬にすがっていました。
しかし、ちょうど妹の出産による帰省と重なり、母に眠ってばかりいることを怒られ、そこで薬を断ち、その病院へ行くことを止めました。

その後、約5年くらいで前のお宅は越していき、もう同じことは繰り返すまい、と思っていたのですが、私は、次に越してきたお宅にも、その次に越してきた今現在住んでいるお宅にも同じことをしてしまったのです。


#ひきこもり #ニート #中高年ひきこもり #ひきこもり当事者

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